写真撮影の道具たるカメラはその誕生以来、様々な進化を遂げてきました。それはカメラ自体が持つ機能だけでなく、被写体と直接相対するレンズも同様であり、長い歴史の中で、多くの交換レンズが生まれ、今なお撮影に用いられています。昨今、マウントアダプターの普及に伴って、最新のカメラで古いレンズを使う楽しみ方も広く知られるようになりました。
「オールドレンズ銘玉セレクション」では、国内外のオールドレンズを外観写真や作例とともに紹介。そのレンズが開発された時代における新規性や立ち位置、技術的な背景など、オールドレンズにまつわる知識を深めることができる一冊となっています。
本記事では第2章「歴史に残る銘玉」より、「E.Krauss Planar 130mm F3.8」の作例と解説を紹介します。
大器晩成の絶対王者「E.Krauss Planar 130mm F3.8」
プラナーレンズといえばカールツァイス社のフラッグシップレンズに付けられる名前として有名である。現在のカールツァイスのフラッグシップレンズであるOtus85ミリF1.4にも銘板にはアポプラナーと刻まれている。
最初にプラナーが設計されたのは1897年のことだ。設計者はパウル・ルドルフ。後にテッサーを設計することでも知られるカリスマレンズ設計者だ。現在のプラナーと違い当時のプラナーはあまり人気がなかった。プラナーは設計上の理論は優れていたが、その理論を活かす生産技術が当時まだ確立されていなかった。この時代はコーティング技術が確立していなかったため、4群6枚と8面も空気接触面を持っていたプラナーはガラスによる反射を抑えることができなかった。
さらに完全対称型のガウスタイプの弱点であるコマ収差によるフレアが発生してしまい逆光時は特に写りが淡くなってしまっていた。それらの問題が解決するのは1940年代に入ってからだ。
プラナーは時代を先取りしすぎていたのだ。当時生産されたプラナーレンズは数千本にも満たず130ミリは百本以下といわれている。プラナーの写りは開放では弱点の内面反射がフレアとなり淡い印象になる。しかしF3.8という明るさは当時としてはかなり明るい部類に入る。ポートレート用としてリリースされたこともあり上手にコントロールしてあげるとポートレートと相性が良い。
E・クラウス社はオイゲン・クラウスが創設したフランスの光学メーカーである。カールツァイスよりライセンスを取得しプロターやテッサー、ウナーやプラナーなどを製造・販売していたといわれている。カールツァイスのパテントレンズを生産していたメーカーは数多くあるといわれているが、カールツァイスの銘を刻印している例は少ない。クラウス社がカールツァイスから信頼を得ていた証であろう。