日々目まぐるしく変化していく現代社会において、世界や国内の情勢を正しく見極めるために知っておきたい教養こそ「地理」「歴史」「公民(政治経済)」と感じている方も少なくないのではないでしょうか。
「オトナのための教養が身につく! 日本の地理・歴史・公民」では、スタディサプリの社会科講師を務める伊藤賀一が、義務教育課程の内容にプラスアルファした情報を分かりやすく解説。イラストや図版つきのオールカラーでしっかり学べる”教養書”となっています。これからの社会を生き抜く上で必須の知識を、「オトナ」だからこそ学び直したい時に役立つ一冊です。
第七回の本記事では、第二章の「歴史」から、太平洋戦争の終わりについてご紹介していきます。
関東大震災以来の焼け野原
1944年、サイパン島がアメリカ軍に占領されました。これにより、米軍の爆撃機が日本列島まで飛行できるようになり、本土への空襲が激化します。都市部に住む児童たちは、空襲を避けて田舎に避難しました(学童疎開)。1945年3月10日の東京大空襲で、東京は焼け野原となり、約10万人が焼死したとされています。
〈国内の主な太平洋戦争の被害地〉
降伏より自決を選ぶ誤った精神主義
1945年3月、米軍は沖縄に上陸しました。日本軍は男子中学生(鉄血勤皇隊)や女子学生までも看護師として動員し(ひめゆり学徒隊など)、住民は大きな犠牲を強いられました。沖縄やサイパンなどでは、民間人の集団自決という痛ましい出来事が多く起きています。この沖縄戦は6月23日に終結し、日本軍による組織的な抵抗も終わりました。
敗戦とその原因
日本が太平洋戦争に敗れたのには、そもそも圧倒的な国力差のあるアメリカに挑んだことに加え、戦線を広げ過ぎて支え切れなくなったことが挙げられます。さらに、戦局が悪化しても講和する決断ができず、犠牲を増やしました。1945年、連合国は日本の無条件降伏を求めるポツダム宣言を発します。原爆投下とソ連の参戦を受け、日本はポツダム宣言を受諾。太平洋戦争は終わりました。
COLUMN◼︎原爆投下はなぜ広島・長崎に?
1945年2月のヤルタ会談で、米英はソ連の対日参戦を密かに約束しました。アメリカはソ連の発言力が増すのを嫌い、ソ連参戦前に戦争を終結させようとしました。最新兵器である原子爆弾を日本に投下したのはそのためです。原爆投下の候補地は、工業都市であることや地形的に爆弾の威力が発揮されることなどを条件に「広島・小倉・新潟・長崎」に絞られました。8月6日、最優先目標とされた広島に原爆が投下されます。9日、当初の目標であった小倉上空の視界が悪かったため、長崎に原爆が投下されたのです。