日々目まぐるしく変化していく現代社会において、世界や国内の情勢を正しく見極めるために知っておきたい教養こそ「地理」「歴史」「公民(政治経済)」と感じている方も少なくないのではないでしょうか。
「オトナのための教養が身につく! 日本の地理・歴史・公民」では、スタディサプリの社会科講師を務める伊藤賀一が、義務教育課程の内容にプラスアルファした情報を分かりやすく解説。イラストや図版つきのオールカラーでしっかり学べる”教養書”となっています。これからの社会を生き抜く上で必須の知識を、「オトナ」だからこそ学び直したい時に役立つ一冊です。
第六回の本記事では、第二章の「歴史」から、第一次世界大戦の始まりについてご紹介していきます。
白昼の帝位継承者暗殺から世界大戦へ
植民地獲得競争による列強の対立は、19世紀末には「新興国ドイツvs覇権国イギリス」という構図が鮮明になってきます。ドイツは1882年からオーストリア・イタリアと三国同盟を結び、勢力は均衡していましたが、イギリスがフランスと英仏協商、ロシアと英露協商を結び1907年に「三国協商」状態となると、均衡が崩れます。 列強の対立は、多数の民族が混在し「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれたバルカン半島で特に深刻でした。1914年、オーストリアの帝位継承者夫妻がセルビア人青年に暗殺されるサライェヴォ事件が発生。これをきっかけに第一次世界大戦が始まりました。
〈第一次世界大戦直前の国際関係〉
「漁夫の利」「火事場泥棒」日本の戦略
大戦が始まると、アジアで日英同盟協約を結んでいた日本は、それを口実にイギリス側に立って参戦。山東省にあったドイツの拠点の青島(チンタオ)を占領します。1915年、列強がアジアに関与する余裕を失っている隙をついて、中華民国の袁世凱(えんせいがい)政権に二十一カ条の要求を突きつけ、大半を呑ませました。ヨーロッパで起きた第一次世界大戦が「対岸の火事」状態だった日本は、アメリカとともに戦勝国の一員となり、戦後のヴェルサイユ条約では、旧ドイツ領だった赤道以北の南洋諸島(サイパン・パラオなど)も手に入れました。
最新兵器が〝総力戦〟を招いた
第一次世界大戦(1914~1918年)では、各国がすべての資源・産業・労働力を戦争に投入する「総力戦」が初めて行われました。兵士が動員されるだけでなく、一般国民も軍需工場で働くなど、動員されました。また、毒ガスや戦車、飛行機や潜水艦といった最新兵器も投入され、機関銃を活用した戦法は犠牲者を増やしました。 さらに大戦末期には、戦場で「スペイン風邪」が大流行し、その後、感染者は世界中に広がりました。
戦時下に判明した男女間の平等
市民革命の時代を経て参政権が拡大した先進国でしたが、女性の参政権という面では立ち遅れていました。しかし、第一次世界大戦期、戦場に向かった男性に代わって女性の社会進出が進みました。大戦は女性の発言力を強める結果となり、イギリスやアメリカ、ドイツでは大戦後に女性参政権が認められました。