キング・オブ・ポップの名にふさわしい不世出のエンターテイナー、マイケル・ジャクソン。
2009年6月に彼がこの世を去ってから10年が過ぎました。その2019年に発売となった書籍「THE COMPLETE MICHAEL JACKSON 〜KING OF POP マイケル・ジャクソンの全軌跡」は、マイケル・ジャクソンの幼少期から世界的な時代の寵児へと進化し、スターダムに登りつめ、そして晩年に至るまでを、豊富な写真とマイケル自身と、彼の関係者の言葉で綴った本です。マイケル・ジャクソンの人生、それは史上最高のエンターテイナーの、スリルに満ちた、究極の物語です。
本記事では、本に掲載されている写真と、マイケルと関係者たちの言葉の一部をご紹介します。
「頭がおかしな形でね、目が茶色で大きくて、手が長いのよ。あの子は特別だったわ」
「赤ちゃんて、1つの動作をするのにも身体の色々なところの動きのタイミングを合わせて協調させることができないでしょう? でもマイケルにはそんなところが全くなかったの。私は、生まれ変わりなんてことは信じていない。けれど、あの子の踊り方はまるで赤ちゃん離れしていたのよ」
ー(母)キャサリン・ジャクソン
マイケルが生まれたときのことを懐かしく振り返って
孤独でした─
人気のこととかも考えなきゃいけなかったし。
兄弟と枕投げをするとか、楽しい時もあったけれど、
小さい頃はさみしくて本当に泣いていました。
ーマイケル・ジャクソン
彼の曲作りの技術は急速に成熟していった。彼は生まれながらにグルーヴとは何か、リズムとはいかなるものかを理解していた。作曲をすることによってそれが明らかになっていく。…どれほど偉大なグループでも、彼の類いまれな可能性と存在感は収まりきらなくなっていた。
ー著者:クリス・ロバーツ
僕は普通の男の子になりたかったのです。
でも、僕の父はそれを許しませんでした。周囲の子どもたちはみんな笑って遊びの時間を過ごしているように見えました。僕にできるのはそれを羨やむことだけだった……子ども時代は、その人の人格を形成する上で重要です。でも僕の人格は、子ども時代がないことで形成されています。愛された記憶がない人は、心の隙間を埋めてくれる何かを求めて世界中を探し回らなければいけないようになっているんです
ーマイケル・ジャクソン
慈善団体「ヒール・ザ・キッズ」財団を設立の際のスピーチにて
ソロの部分を2、3回、バリバリに弾き倒した。彼は1度目のテイクを選んだ。俺もそれが一番よくできたと思っていた。彼は、テクニックよりも、感情のノリを大切にしているようだった。それは俺も常に意識してきたことだ。
ーギターリスト スティーヴ・スティーヴンス
「Dirty Diana」のレコーディングについて
不平等や偏見、人種差別、偏狭な考え方の人たちに対する僕のフラストレーションを発散できるようなダンスナンバーをやりたかった。
ーマイケル・ジャクソン
「Black Or White」のミュージックビデオについて
僕は、チャイコフスキーの『くるみ割り人形』のようなアルバムを作りたい。
今から1000年経っても、みんなに聴いてもらえるようなね。
永遠に輝き続ける音楽だよ。
ーマイケル・ジャクソン