赤城写真機診療所 MarkII
第7回

撮りためた写真は人に見せるべきなのか?

赤城写真機診療所 MarkII」では、カメラや撮影にまつわる悩みや迷いを「疾患」に見立て、「撮影科」「カメラ科」「レンズ科」「婦人科」それぞれのカテゴリーで、質問を「症状」、回答を「診察」としてカメラや写真、撮影時の疑問に答えています。

「診察」と銘打ってはいますが、要は著者によるお悩み相談。「カメラあるあるネタ」に対する著者の見解を楽しむ一冊となっています。本記事では「撮影科」における診察内容の1つをお届けします。

「赤城写真機診療所 MarkII」

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私は人に見せていない、未発表の写真がたくさんあります。やはり人に見せた方が良いでしょうか?

アメリカの女性写真家ヴィヴィアン・マイヤー(1926年2月1日-2009年4月21日)をご存知だろうか。

シカゴのノースショアでベビーシッターとして約40年間働きながら、プライベートな時間にローライフレックスを片手に街と人を撮影していたのだ。撮影場所は主にニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルス内の人物と建物だが、セルフポートレートも多い。友達もおらず、生涯を独身として過ごした、かなり偏屈な女性だったようだ。

他にも世界中を旅して写真の撮影をしているが、マイヤーは存命の時に一枚の写真も発表せず、誰も知ることはなく、当然のことながら印刷もされることはなかった。

シカゴのコレクター、ジョン・マルーフが彼女の写真を入手、マイヤーの写真が初めて一般公開されたのは、ネット上で2008年6月。しかし当初の反応はほとんどなかった。2009年10月にマルーフがFlickrに共有したマイヤーの写真をブログで紹介すると、今度は何千ものユーザーが関心を示し彼女の名前は世界中に広まり、写真集も刊行される。

マイヤーの話は映画化されたのでご存知かもしれないが、世界は広い。中には2 1こういう人はいるのである。ただ、何よりも驚かされるのは、撮影の目的が家族の記念とか、記録写真ではなく、いわゆるスナップショットの方法論を用いて、なんら発表されるあてもなく写真を撮っていることであろう。乱暴に言えば、写真を発表しない木村伊兵衛みたいなニュアンスを想像してもらえばよいだろうが、木村伊兵衛が写真を発表しなければただのライカ好きのおっさんであり、スナップの名手として崇められ、作品が残ることはなかったはず。

写真は自分のために撮り、作品を創ることもあるけど、人に自分の見たものを伝えるという機能もあるわけだ。むしろ自分の見たものを一緒に見てくれ!という欲望はあるだろう。写真を見る他者によって意味が付けられることも多い。やはり発表しなければ写真は世の中の誰にも知らずに終わることになる。それともあなたが亡くなってから、あなたの名作が発見されるのを待ちますか。なんでもいいから早いところ発表しましょうぜ。

 イラスト:大村祐里子
映画「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」予告篇

ヴィヴィアン・マイヤーの本


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著者プロフィール

赤城 耕一


(あかぎ・こういち)

1961年、東京生まれ。東京工芸大学短期大学写真技術科卒業。出版社を経てフリーに。雑誌、コマーシャル、企業PR誌などで人物撮影を主に担当する傍ら、戦前ライカから最新のデジタルカメラまでレビューも行うカメラ好き。カメラ雑誌、書籍など執筆多数。
「銀塩カメラ放蕩記(アサヒカメラ)」「ボケてもキレても(月刊カメラマン)」連載中。

書籍(玄光社):
中古カメラはこう買いなさい!
ズームレンズは捨てなさい!

Twitter:@summar2
ブログ:赤城耕一写真日録


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