写真家の相原正明さんは著書「光と影の処方箋」のなかで、「心が通う写真の撮り方」を理解すれば、撮影スタンスが変わり、作品も良い方法へ変わっていくといいます。自然風景、街、人物、鉄道など、地球上のあらゆる被写体を撮影してきた著者が語る“心が通う写真の撮り方”とは?
本記事では、第一章の「Plants(植物)」の中から、“森”の撮影時の心構えをご紹介します。
>この連載の他の記事はこちら
森と対話して自分と相性の良い被写体を探せ
〔 撮り方 〕
新緑の緑が空気の粒子に溶け込んでいるようなときを選んだ。多くの人が狙うような晴れではなく、少し小雨に煙る早朝。緑が湿度で少し柔らかくなるのと、水蒸気で森の中が緑かぶりすることを予測して撮影した。
早朝の靄も手伝い、森奥の開けた空間が露出オーバーにならずに、かえって奥行きを出してくれた。新緑はデジタルだとパキパキして、プラスチックのような印象になりやすいため、あえてここではフィルムを使用。
そして主題になる存在感のある木を探し出し、木の幹と枝葉の重なる位置に神経を遣った。この位置関係が悪いと、葉の存在がうるさくなってしまう。
〔 処方箋 〕
森の撮影は難しい。何の変哲もなく、どこでも同じようになってしまい撮る場所なんかない。誰もがそう思う。僕も毎回そう思う。だが、それは大きな間違い。自分が森のリズムと共鳴し木と対話しない、森の中の招かれざる観光客になっているからだ。
森に入るときは森を好きになること。自分が好きだ、気持ちが良いと思える森を探すことが大事だ。人でも、自分のことを好きになってくれる人には心を開く。
森も同じだ。これを撮ってやろうなどと、上から目線の気持ちを出してしまうと森は心を開いてくれない。良い作品が撮れなくてもいい。この森にいるだけで自分は幸せ。この森にいたいがためで写真を撮るのは口実。そんな気持ちがないと森はいつも変哲もない表情しか見せてくれない。
森の表情は、自分の心の表情の鏡なのかもしれない。心の鏡を磨くことが、素晴らしい木との出会いをもたらせてくれるのだ。
<玄光社の本>