ND CHOWはなぜヌードフォトを撮り続けるのか?:コマーシャル・フォト2018年4月号 特集「NUDE」より

広告やポートレイトで活動しながら、村主章枝写真集「月光」や自縛師 吉岡愛花とのコラボレーション作品「愛傷」など、ヌードフォトを発表してきたアンディ・チャオ。様々な経験を経て今、彼はヌードフォトに新しい価値を見出している。意識のシフト・チェンジのさなかにいる今の彼は、ヌードにどんな意味を見出しているのか。

「自然光、リアルな肌、その中で彼女たちの本当の美しさを見せたいのです」

被写体との関係を可視化する

今回の撮り下ろしで意識したのは、「ヌードで何を表現するか」です。現在、世の中にあふれているヌードは女性を「性的なオブジェ」として表現しているものが多い。そこで、私は「どうすればヌードにおいてジェンダーを意識させず、性別的に対等であるように見せることができるか」をテーマに掲げ、撮影を行ないました。

ヌードではあるが攻撃的でなく、性の匂いも感じさせないというもの。つまり「ポルノ」「エロス」のいずれの面を排除させ、被写体のバックグラウンドと関係性を見せることを意識しました。何もまとわない、そのままの姿の被写体の写真を見て「この人のことをもうちょっと知りたい」と、そこに「個」を感じてもらえるように。

世の中における「ヌード」の存在意義が、まだまだ性的なもの、エロティックなものという認識であることも事実です。しかし、ヌードは被写体の「個」を感じさせるポートレイトの1つとして存在できるはず。だからこそ、そこを追求しようと思いました。

撮影は部屋の中で一日中、私と被写体一対一の状態。まず彼女たちのバックグラウンドを知るために、インタビューから始めました。ヌードを通して個(アイデンティティ)を感じさせるためには、やはり撮る側がその人を知らなければなりません。会話を交わす中でアーティストとモデルの関係性、信頼性を大事にしました。

日が高いうちから撮影を始めて、一緒に過ごし、だんだん日が落ちていく。初めはお互い少し緊張しているけど、時間の経過とともにリラックスしてくる。時間をかけて移りゆく太陽の動きと温度の中で、同じ場所でモデルがどんなふうに変化していくか。私と被写体の関係性という横軸に、時間と温度の変化という縦軸を重ね、そこで生まれる表現を写しとりたかった。彼女たちと過ごす中で生まれる関係性において信頼関係を築き、そのプロセスが最後に写真でどう変化するのかを期待したんです。

撮影中、午前中は生物の育みを感じさせるまぶしい光、午後は活動的な光と、どんどんが変化していく。そして日が沈み、空間は闇に包まれる。

一緒に過ごす時間の中で、肌に光がさす時間は、まだお互いに関係が浅い状態。そこから更にコミュニケーションを重ねて、心の距離感が近くなり、共有する時間とともに信頼の密度が濃くなっていく。すると日が落ちる頃には、お互いに目に見えない部分までも共有できるようになっている。顔も見えずにシルエットだけを写しても、そこで交わした会話も、その時の彼女の表情も記憶に残っていて、被写体の本質のようなものが撮れるんです。

それは今回の撮影の中で発見でしたね。関係が浅い状況だから撮れるものものあるし、深まるからこそ撮れるものもある。時間が経過する中で被写体との関係性から生まれる変化はユニークで、とても興味深かったです。

コンプレックスは命の証

そして、もうひとつ。リアリティも今回の撮影のポイントです。自然光を使って、且つレタッチはせず、ありのままを見せています。彼女たちにとって、肌のあざ、シミはコンプレックスかもしれない。多くの人がそれぞれいろんなコンプレックスを持っていて、それを見せないように洋服やメイクなどいろいろなものを使って隠していきますよね。みんな写真でも、そういう部分を隠したがります。

でも、本人がコンプレックスに感じている肌のあざやシミは、同時にその人のバックグランドやアイデンティティを感じさせる「命の証」でもあるから。人間の生身を感じさせるもの、人間たらしめている要素だと思っています。それをレタッチで消してしまうことには意味がない。細くしたり、肌をキレイにしたりレタッチで均一化してしまうことで、本当の姿を隠してしまう。そうやって作られた写真からは、被写体のアイデンティティを感じることはできないのです。

完璧ではないものをどう美しく見せるか。それを見せられたら、完璧じゃないからこそ美しいのだと、彼女達に自信を与えられるかもしれない。もしかしたらコンプレックス自体への意識や美しさの概念さえも変えられるかもしれないですね。

また、今回の撮影ではポーズとカメラ目線を排除しました。ヌードフォトにおいてのポーズと目線って、つまりは「男性を挑発」するために必要なものでしょう?

撮る側はカメラのファインダーを通して、多くの人を挑発するものを撮ろうとする。すると、撮られる側はそれに応えようと、男性を満足させるような目線を意識して、表情や目線、ポーズを作っていく。それが回を重ねるごとに、過激になっていく。それはもう彼女本来の姿ではなく、フィクションの世界になってしまうから。今回はそういう要素を排除して、より生のリアクションや表情を追いました。

「今が僕にとっての、転換期なのかもしれない」

以前、尊敬するアーティストから「カメラマンは、“写真”しか撮れないよね」と言われたことがあったんです。4~5年経っても、僕の中でその言葉がずっとリフレインしていたけれど今では、その言葉の本当の意味を理解しかけている気がしています。

僕は、ヌードフォトに興味を持ち、撮り始めてから、写真集や作品にもチャレンジする機会をもらってきました。それはとてもやりがいがあるし、いろんなことを経験できました。その経験を経て、おそらく今、僕は転換期にいるのかもしれません。もっともっと深く「写真」というものを知りたいという気持ちが強まっていて、自分なりにヌードフォトという究極のポートレイトについて、改めて研究を深めている最中です。

感性だけで綺麗なイメージを作るよりも、研究で得た知識や、これまで積み重ねてきた経験を使いながら、さらに深みがある写真を目指したい。ヌードフォトでいうならポーズやレタッチから生まれるフィクションではなく、被写体に向き合うポートレイトを撮っていきたい。余分なものを排除した、まさに「Less is More」な写真です。要素を削いで削いで、そして最後に残るその人の「個」の部分、それを僕は撮り続けていきたい。

アンディ・チャオ

シンガポール生まれ。世界を旅しながらドキュメンタリーを撮影後、東京にベースをおく。広告、エディトリアル、写真集の他、演出、撮影監督、また写真展開催などで国内外にて多岐にわたって活動中。

M:Miku Konno & Yuan
Special thanks : Aaron Ward


安齋ららヌード写真集「Hello,Goodbye」集英社(2014)
ND CHOW×AIKA private exhibition「愛傷」「Love Hurts」ダイトカイ 2015年12月4日~8日
本仮屋ユイカ 写真集「maururu( マウルル)」ワニブックス(2017)
「Rashin ≪裸芯≫ MOEMI KATAYAMA」講談社(2017)
村主章枝写真集「月光」講談社(2017)

コマーシャル・フォト 2018年4月号

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