絵画に描かれた「いわくつきの美女」や、さまざまなエピソードを持つ「いわくつきの美女絵画」など、280点の西洋絵画を美術評論家の平松 洋氏の解説で紹介する本書「西洋絵画入門! いわくつきの美女たち」。神話の女神から、キリスト教の聖女や寓意像の美女、詩や文学に登場するヒロイン、王侯貴族の寵姫や貴婦人、そして高級娼婦まで、いろいろなバックストーリーに彩られた「美女たちの名画集」としても楽しめる一冊となっています。
ここでは、本書から、いわくつきの美女たちをご紹介していきます。
第3回は「宗教画〜キリスト教の聖女たち〜」から『誘惑されるエヴァ』(ジョン・ロダム・スペンサー・スタンホープ作)をご覧ください。

巨匠のポーズから学んだ蠱惑的な堕罪の美女

『誘惑されるエヴァ』
1877年頃
板にテンペラ 161.2×75.5cm
マンチェスター市立美術館
全裸のエヴァが知恵の木に巻きつく蛇に誘惑されている場面です。恐ろしい形相の蛇がエヴァの耳に良からぬことを吹き込んでいます。しかし、見方を変えると誘惑されているのは蛇の方で、彼女は自分に魅了され言い寄る蛇につれなくしているかのようです。スタンホープは、19世紀のイギリスで活躍したバーン=ジョーンズの影響を強く受けた後期ラファエル前派の画家です。バーン=ジョーンズがイタリア旅行でルネサンス絵画、特にミケランジェロの影響を受けたように、スタンホープもイタリア絵画の影響を受け、彼が描く裸体の女性単身像にはボッティチェッリの影響が濃厚です。本作も花が咲き誇る大地はボッティチェッリの『春』を、エヴァの裸体と息を吹きかける蛇は、『ヴィーナスの誕生』に登場するヴィーナスと西風の神ゼピュロスを、想起させます。

しかし、よく見るとエヴァはボッティチェッリのヴィーナスのように立っているわけではありません。ミケランジェロが描いたシスティーナ礼拝堂の天井画のエヴァのように、右手をついて後ろにもたれかかり、罪を表す左手で知恵の実を握っています。この左手を上げるポーズも、ミケランジェロの彫刻作品『瀕死の奴隷』を思い起こさせます。
持病の慢性喘息のため、冬はイタリアのフィレンツェに、夏はバーン=ジョーンズ宅を訪ねていたスタンホープが、ルネサンスのフィレンツェ派絵画を研究し、ボッティチェッリのヴィーナスの身体にミケランジェロのポーズを融合させたのかもしれません。
ちなみに、彼の姪が、第1回の『フローラ』を描いたイーヴリン・ド・モーガンです。
エヴァ、それは、人類初の誘惑者
パンドーラーと同じく 災厄をもたらす最初の女
エヴァは、蛇に唆(そそのか)され、知恵の実を食べてしまいます。その意味では、エヴァは、蛇に誘惑される存在です。しかし、そのエヴァは同時に、蛇と同じ立場で、アダムに知恵の実を勧める誘惑者でもあったのです。つまり、エヴァこそが、最初に神を裏切り、アダムを誘惑し、全人類に原罪を背負わせた張本人として描かれているのです。
絵画においても、エヴァを誘惑者とし、アダムに知恵の実を勧める場面が描かれてきました。その際、アダムには、拒絶するようなポーズをとらせています。

『誘惑』
1899年

『アダムとエヴァ』
1680年

『アダムとエヴァ』
1920年頃
こうした「最初に創られた女」が人類に災厄をふりまく構図は、父権的で男性中心主義の神話の常套手段のようで、パンドーラーやリリスも同じです。 特にパンドーラーとエヴァは、すでに2世紀頃から、類比されてきました。絵画においても、マニエリスムのクーザン(父)が描いた『エヴァ・プリマ・パンドーラー』では、二人のイメージが重ねられています。

『エヴァ・プリマ・パンドーラー』
1550年頃
