写真撮影の道具たるカメラはその誕生以来、様々な進化を遂げてきました。それはカメラ自体が持つ機能だけでなく、被写体と直接相対するレンズも同様であり、長い歴史の中で、多くの交換レンズが生まれ、今なお撮影に用いられています。昨今、マウントアダプターの普及に伴って、最新のカメラで古いレンズを使う楽しみ方も広く知られるようになりました。
「オールドレンズ銘玉セレクション」では、国内外のオールドレンズを外観写真や作例とともに紹介。そのレンズが開発された時代における新規性や立ち位置、技術的な背景など、オールドレンズにまつわる知識を深めることができる一冊となっています。
本記事では第1章「オールドレンズのレジェンドたち」より、「Heinz Kilfitt München Makro Kilar 90mm F2.8」の作例と解説を紹介します。
マクロレンズで広がる表現領域「Heinz Kilfitt München Makro Kilar 90mm F2.8」
特殊レンズを得意としたドイツのレンズメーカー
世界初のマクロレンズであるマクロキラー40ミリF3.5の発売から1年後の1965年にリリースされたのがマクロキラー90ミリF2.8だ。このレンズのアリフレックスマウントのものはスタンリー・キューブリックが使用していたことでも有名である。レンズ設計は典型的なテッサー型で鏡胴を長く伸ばせるようにしたことでマクロ域での撮影を可能にした。
このレンズの鏡胴の繰り出しは1段で最大まで繰り出すと1/2倍のマクロ撮影が可能だ。このレンズの登場で国内でも一気にテッサー対応のマクロレンズが生産された。しかしテッサー型では無限遠からマクロ域までの広い範囲で十分な性能をキープすることが困難で無限縁側化接写側どちらかの描写能力を優先すると他方の性能が低下してしまう弱点があった。もちろんマクロレンズとして設計されたマクロキラーは近接時に最高の描写をするようにチューニングされているので、無限遠側の描写に弱くピント部分ににじみが発生し後ボケにバブルボケが発生する。
この弱点を解決すべくダブルガウス型やクセノタール型のマクロレンズも登場するが、最終的には撮影距離ごとに内部の光学系が可変するフローティングシステムを採用して解決することとなる。もちろん当時は加工技術的に難しくマクロ専用レンズという立ち位置で使用されていた。最近では無限遠側の描写のやわらかさと背景のボケの特徴的な描写であえてマクロ域以外で使用する使い方も増えてきている。
コントラストの低い描写はやわらかく一見フィルムのような趣がある。テッサーというレンズ構成のレンズは割りと真面目に写る印象があるがこのレンズは一味違っていて面白い。
ハインツ・キルフィットとは度入りのカメラ設計者でロボットカメラやメカフレックス、コーワシックス等の設計で知られる。キルフィットが設立したキルフィット社では世界初のマクロレンズである、マクロキラーや世界初のスチール用ズームレンズ、ズーマーを発売した。
今回のマクロキラー90ミリF2.8は1956年に発売された。当時マクロレンズは存在しなかったため、あらゆるマウントのバージョンが存在する。メジャーなものでもM42、アルパ、エキザクタ、アリフレックスマウント等がある。世界初のマクロレンズということで映画業界でも活躍した。描写力は最短撮影距離側に最適化されていて近接では高い解像力を誇る一方、無限遠側ではやや甘い描写になっている。また距離によっては2重のバブルボケが出る。
1966年頃、ハインツ・キルフィットの引退にともない事業をズーマーの設計者であるフランク・G・バックに売却した。ズーマーは1989年に発売された世界初の35ミリスチールカメラ用のズームレンズで、ズームレンズの語源でもある。彼は米国ニューヨーク州ロングアイランドにズーマー社を設立し事業を引き継いだため1941年から1967年頃まではキルフィット銘、それ以降はズーマー銘となっている。
ズーマー社は35ミリムービーカメラ用のズームレンズ、マクロレンズ、望遠レンズの生産にもたけておりズーマター180ミリF1.3やスポーツ・ファーン・キラー600ミリなど明らかに特殊撮影用のレンズも生産していた。キルフィットレンズは全て工場出荷時に実写によるテストを受けており、実写されたフィルムの1枚はレンズと共に出荷されもう1枚は向上で保管された。現在でもごくたまに出荷用フィルムと共に販売されているキラーレンズを見かける。1986年にズーマー社は民間市場から撤退し米国の光学機器に専念するようになった。
マクロキラーが切り開いたマクロレンズというジャンルは現代でも引き継がれるレンズの新しいジャンルとなった。そして何よりマクロレンズという新しい領域は、これまで見たことのない表現を生み、その表現にインスパイアされた監督たちによって新しい作品が生まれた。