オールドレンズ銘玉セレクション
第1回

写りの良し悪しとレンズ性能は必ずしも一致しない

写真撮影の道具たるカメラはその誕生以来、様々な進化を遂げてきました。それはカメラ自体が持つ機能だけでなく、被写体と直接相対するレンズも同様であり、長い歴史の中で、多くの交換レンズが生まれ、今なお撮影に用いられています。昨今、マウントアダプターの普及に伴って、最新のカメラで古いレンズを使う楽しみ方も広く知られるようになりました。

オールドレンズ銘玉セレクション」では、国内外のオールドレンズを外観写真や作例とともに紹介。そのレンズが開発された時代における新規性や立ち位置、技術的な背景など、オールドレンズにまつわる知識を深めることができる一冊となっています。

「高性能、希少といったレンズの『モノ』としてのファクター。それに知名度を上げるストーリーや出来事、そういったものが結びつく。(中略)結果として多くの人の心をつかみ、憧れの存在となりえた時、『銘玉』という称号で呼ばれるのではないだろうか」(第5章「オールドレンズの世界をより一層楽しむ方法」「銘玉の条件」より引用)

本記事では第1章「オールドレンズのレジェンドたち」より、「Koniroku Hexanon 60mm F1.2」の作例と解説を紹介します。

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オールドレンズ銘玉セレクション

独特の設計手法を確立した風巻友一の超大口径レンズ「Koniroku Hexanon 60mm F1.2

超大口径らしい巨大な前玉が印象的だ。銘板のリム部分が鏡面のようになって対角の文字が映り込んでいる。

写りから読み解くレンズ設計者の思想

ヘキサノン60ミリF1.2は小西六写真工業の大口径レンズで1954年に発売された。ライカマウントの国産超大口径レンズの中では後発にあたる。ガウス・ゾナー折衷型構成、新種ガラスに加えてアンバーのシングルコーティングを採用していた。当時徐々にモノクロ写真からカラー写真にトレンドが移りつつあった。小西六は「さくら天然色フィルム」で有名なフィルムメーカーでもあり、サクラ天然色フイルムは日本初のカラーフィルムとして知られている。

ヘキサノン60ミリF1.2は色収差補正とコーティングにより優れた色再現を目指していた。発明当初は内面反射対策として始まったコーティング技術はカラーフィルムの普及と共に個々に色再現性の向上のためにも使われるようになった。設計者は風巻友一で独自の光線追跡計算方法を確立したことでも知られている。3次収差係数計算を併用することで光線追跡のみで設計するよりも直感的な設計が可能になり設計の省力化にも成功した。そのこともあり風巻友一は短期間に数多くのレンズの設計に携わった。

ゾナー型には色収差の残存、ダブルガウス型にはコマ収差由来のフレアといった弱点があるが、ヘキサノンではこの双方の弱点を克服するために折衷型でさらに6群8枚という複雑な設計を取っている。そのおかげで色収差は非常によく補正されていてピント部はもちろん後ボケ部分でも良好に補正されている。球面収差も少なく絞りにともなう焦点移動もほとんどない。60ミリと少し望遠よりの焦点距離にすることにより画面周辺部に余裕が持てるようになり周辺光量落ちなどもあまり気にならなくなっている。

ヘキサノン60ミリF1.2は登場した時期は遅いものの新種ガラスとコーティング、ダブルガウス・ゾナー折衷型といった様々な生産・設計技術を駆使し生産された。1998年には藤沢商会の企画で800本復刻された。復刻とはいうものの工学系はブラッシュアップされており、オリジナルではガウスとゾナーの折衷型であったが復刻版ではガウスタイプになっていた。

SONY α7R 開放1/400秒 ISO100 WB:マニュアル RAW ライカL39マウントの本体にLM変換リングが付いている。ゾナー型とダブルガウス型のいいとこどりを目指した折衷型。

冬の柔らかい日差しの中に溶けてゆく家族の後ろ姿、その温かさを表現しうる表現力の高さ。それがヘキサノンの描写力だ。フィルムメーカーのレンズらしく非常に的確でビビットな色再現がこの写真の表現を支えている。親子の服の鮮やかな赤と爽やかな水色なしにこの写真は成立しない。ゴーストによる虹は本来なら光学的な破綻であるがこのやわらかい世界にはマッチしている。

1950年代の日本のカメラメーカーによって誕生した様々な超大口径レンズシリーズはその明るさはもちろんそのレンズごとの強烈な個性が非常に魅力的だ。その多種多様な個性は当時のレンズ設計者たちが最適解を求めて手探りで設計した結果である。当時最新のコーティング技術と新種ガラスを使ってはいるが理想通りの写りを実現するためには加工技術も素材開発も十分ではなかった。その足りないリソースを設計によるバランス配分で上手くブレンドしているのが当時のレンズだと思う。そのブレンドの仕方にレンズ設計者ごとの美的感覚が現れていて非常に興味深い。

レンズの写りの良し悪しと相対的な性能は必ずしも一致しないと僕は考えている。それは人と似ているのではないかと常々思う。優秀で非の打ちどころのない人間が必ずしも魅力的ではないのと似ている感じだ。逆に欠点は多くとも憎めない人もいる。オールドレンズでもそういうレンズがある。銘玉というのはそんなレンズのことだと思う。

ヘキサノンは当時としては非常に性能の良いレンズであったが現在の高性能レンズにくらべればすべての面で劣っている。しかしこのレンズはすべての弱点を抑えつつ色再現の最大のリソースを割いている。それゆえ破綻は抑えられ他の超大口径レンズのような突出した個性はない。しかし、その調和のとれた写りがヘキサノンの最大の特徴であり到達点といえる。

ライカL39スクリューマウント。距離計連動用のカムが見える。この個体はフィート表記になっている。フィートは主にアメリカ仕様、メートルは欧州仕様になっている。
ガラスに多くの気泡が見える。当時、国産新種ガラスは溶解成功から間もないため、泡の出やすいものもあった。
ヘキサノンの広告。フィルムメーカーのレンズらしく色再現に配慮したつくりになっている。フィルターセットのYIとRIはモノクロ時のコントラストをコントロールするフィルターだ。
Konishiroku Hexanon 60mmF1.2 中古価格:150万円~ 1950年代の大口径開発競争で最後に登場したレンズ。無理のない60ミリという設計で高い描写力を持つ。

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