ドキュメンタリー映画や劇映画のカメラマン・撮影監督として活躍している辻智彦さんの「ドキュメンタリー撮影問答」は、カメラマンから映画監督、出演者、写真家、番組プロデューサーなど様々な立場から映像制作に関わる業界人11名へのインタビュー集です。
「ドキュメンタリー」をキーワードに展開する問答では、インタビューが進むにつれて各人が持つ信念や詳細な方法論、時には意外な本音も飛び出します。それぞれ異なる立場から各々の領分について語る対話の中で読者が目にするのは、その道のプロにしか到達しえない領域、伝えたいテーマをいかに表現するかに心を砕く、クリエイターたちの姿です。
本記事では中村高寛×辻智彦「対象者の人生をまるごと引き受ける」より、ヒット作「ヨコハマメリー」製作の経緯と、映像業界に入ったきっかけについての記述を抜粋して紹介します。
辻:中村監督は『ヨコハマメリー(※)』、『禅と骨』など力のあるドキュメンタリー映画を作られてきていて、私とはテレビドキュメンタリーの現場でご一緒した縁もあり、ぜひ改めて深く問答を交わしてみたいと思っていました。
※ヨコハマメリー:白塗りの化粧と貴族のようなドレス姿で横浜の街角に立っていた老女、ハマのメリーさんを追ったドキュメンタリー。かつて絶世の美人娼婦として知られ、本名も年齢も明かさないまま、戦後50年間にわたって街角に立ち続けたメリーさん。病で余命わずかなシャンソン歌手・永登元次郎さんをはじめ、メリーさんを知るさまざまな人物の証言を通してその実像を浮き彫りにするとともに、彼女が愛した「横浜」とは何だったのか検証していく。
大ヒットした『ヨコハマメリー』が生まれた経緯
辻:『ヨコハマメリー 』 は2006年公開で大ヒットしましたが、カメラを回し始めたのはいつからですか?
中村:1997年から事前リサーチに2年間ほど費やして、1999年にクランクインしました。すべての撮影を終えたのが2004年、ちょうど上映用に35ミリフィルムに変換するタイミングでした。完パケがビデオだったら、もっと撮影を続けていたかもしれません(笑)。
辻:そもそも中村さんがヨコハマメリーをドキュメンタリー映画として作ろうと思ったきっかけは?
中村:事前リサーチを始めたころ、私はドラマの助監督をやっていたんです。一番下っ端の演出部だったので、いつも怒られてばかりで、楽しくもなんともない。その時、自分で何かやりたいと思っていて、現場が終わって時間ができると、リサーチしていたのが『ヨコハマメリー 』だったんです。
元々、メリーさんというのは、横浜の街角に立っていて地元では誰もが見かけたことがある有名な方だったんですよ。そのメリーさんがいきなり街からいなくなってしまった。それが1995年のことで、地元の友人が集まると「そういえば、いなくなったよね……」みたいな話をするようになった。私は、メリーさんがいなくなった、不在になったことで興味を持つようになったわけです。
辻:いなくなってから興味を持って、しかも映画にまでしようというのは、横浜のなかでも、中村さんくらいしかいないですね。でも、どうして?
中村:その時、演出部として私が携わっていたのがオリジナルビデオとかテレビの2時間モノのドラマでした。そういうドラマってほぼルーティンなんですね。当時の私からすると、全然面白くない台本でも、ベテランの俳優がまじめに演技しているわけですよ。「俳優って大変だな」とか思いながら、「なんでこの人たちは全然リアルじゃないこのセリフを一所懸命喋っているんだろう?」とカチンコを叩きながら思っていたわけです。「じゃあ、リアルな言葉ってなんなんだろうか?」という興味が自然と湧いてきたことで、そういう声、リアルな言葉を拾いたくなって、メリーさんのリサーチを始めたのかもしれません。でもこれは完全に後付けで、今から考えるとですが……。
辻:最初、撮影所の助監督から仕事を始めたというのは、ドラマの世界に惹かれて、劇映画の監督を目指していたわけですよね。
撮影所時代の監督が好きで、映画業界の片隅で生きていけたら
中村:私が好きだったのが大島渚とか神代辰巳とか、いわゆる撮影所出身の監督でした。なので映画監督というのは雲の上の存在で、自分が監督になれるなんて思ってもいなかった。でも社会に出なければならない、否が応でも働かなければならなかったときに、「じゃあ、自分は何が好きか、何がしたいのか?」と思い浮かべたら映画以外に選択肢がなかったんです。なので消去法で映画の世界に入ろうかなと。その時は映画界の片隅で生きていけたらハッピーだなあくらいの軽い気持ちでした。だから今、映画監督をやっているのが不思議で、なんでこうなっちゃったんですかねえ(笑)。
辻:助監督で満たされない思いを持っている人は多いと思うんですよ。自分で脚本書いていて本物のドラマを作りたいと思っている人は多い。なぜフィクションのほうにいかずに、リアルな声を拾いたいということでドキュメンタリーを選んだんですか?
中村:何でなんでしょうね? 助監督の仕事をする前から、映画が好きでずっと映画館に通っていたんです。一観客としてとにかくジャンルを問わず劇映画、アニメ、実験映画、そしてドキュメンタリーも見ていた。20歳くらいのときには小川紳介のレトロスペクティブがあってほぼ全作品を観ていたし、一番最初にドキュメンタリーって面白いなと思ったのは、ロマンポルノだけど神代辰巳の『一条さゆり 濡れた欲情』でした。映画ってこういう自由な作り方もあるんだなあと。でもあくまでも一観客として面白かったということで、フィクションと同じく、自分がドキュメンタリーを作るイメージなんて皆無だったので、「選んだ」という意識はないですね。