長引く新型コロナウイルス感染症の流行で、私たちは公私ともに様々な制約を抱えています。社会の在りようが変化する中、フォトグラファーたちもこれまでにない視点で活動を始めており、様々な場所でその成果を目にすることができるようになってきました。
「コマーシャルフォト」2020年8月号の特集「STAYHOMEから生まれたフォトグラファーのプロジェクト」では、人々のふるまいが変化した社会の中で新たなプロジェクトをスタートしたフォトグラファーたちの活動を紹介しています。
本記事では、感染の危機にさらされながら医療の現場で働く医療従事者たちのポートレートを撮影、発表した宮本直孝さんのプロジェクトについて紹介します。
以下「コマーシャル・フォト 2020年8月号」からの転載です。
表参道駅構内に最前線で戦う医療従者の写真を展開。宮本直孝「医療従事者ポートレート」
6月15日から21日まで、東京メトロ表参道駅構内に、新型コロナウイルス感染症の最前線で対応にあたった国立国際医療研究センターの医療従事者21名の写真展が開催された。フォトグラファーの宮本直孝が「写真を見た人に医療従事者の方への感謝の気持ちを感じてもらう機会を提供するとともに、身の危険も顧みず責任感を持って働くことの貴さを感じてもらいたい」という目的で制作。高さ1.8mの写真が21点、パネル28枚というスケールの展示だ。
新型コロナウィルスの最前線で対応に当たった医療従事者を撮影
フォトグラファーの宮本直孝は難民、ダウン症のある子とその母、いい夫婦の日など、これまでにも表参道駅構内でテーマ性のあるポートレイトを使った展示を行なっている。
今回は新型コロナウィルスと戦う医療従事者を応援するためになにかしたい。この強い想いからすぐさま行動を起こした。「この非常事態に自分は何ができるのか。 こういう時だからこそ何かをしないといけないと考えて思いついたのが、GW前のSTAY HOMEのキャンペーンでした。それを誰が訴えたら最も説得力があるだろうかと考えて、医療従事者の写真展をしようと思いました」。
その時点でGWまで半月しかない。そこで、この内容で展示ができるかどうか東京メトロに問い合わせたが、最終的にOKになったのが1週間後で、現実的にGW中の展示は不可能になってしまった。
「その段階で一旦は諦めたのですが、いつも取材してくださるNHKの方のアドバイスもあり、違う形で医療従事者の写真展を行おうと考えて企画書を書き直しました。5月12日に改定した企画書を送って、了承いただいたので、本当はすぐにでも撮影したかったのですが、『撮影可能なスタッフを集めるのに時間をください』と言われてしまいました」。
最前線で対応している医療従事者は当然、寝る暇もないほど忙しいし、生半可な気持ちでは撮れない。しかも人選も難しい。この状況をどう乗り越えたのだろうか。
「医者、看護師だけでなく新型コロナウイルス感染症に携わった多くの職種の方を撮影しようとは最初から考えていたのですが、具体的にご協力してくださることになった国立国際医療研究センターの広報の方に相談しました。コロナ科というものはないので、関係している各診療科に推薦者をあげてください、という形で募集しました」。
撮影は病院の敷地内にある国際医療協力研修センターの会議室にセットを組んで行なわれた。撮影できるのは2日間だけ。6月1日は15分おきに19人。翌2日に2人撮影している。
「最初は次から次に来てしまったので、1時間で6人撮影しました。会話もほとんどしていません。ただ、こんなに急ぐ必要もないとわかったので、それ以降はもっとじっくり撮影しています。撮ってから納品までの期間が短いので、撮影日までに展示の構成を考えて、6月2日の撮影後は1週間でレタッチをしてもらいつつ、仕上がったものからプリント出力をしていき、6月10日にパネル作成兼設置・撤去の業者にプリントを渡しました」。
自身は今回の手応えをどう感じているのだろうか。
「自分の知り合いの中での評判は今までで一番良かったですし、SNSへの反応もかなりありました。駅構内では立ち止まって見てもらうというのは至難の業なんです。人づてに日本看護協会の理事という方から『元気づけられました。お礼をお伝えください』と仰っていたと教えてもらいました。正直、この言葉が一番嬉しかったです。何千何万人というコロナに関わった医療従事者の方の間で噂になってるかなあって想像していました。
いつも思うのは『お金よりも大切なことはあるな』ということ。これからも『これはなんとかしなくては』と思うことがあれば挑戦していきたいです」。
みやもと・なおたか
1961年 静岡県生まれ。1984年 早稲田大学中退、渡伊。1990~91年 オリヴィエーロ・トスカーニに師事。1993年 帰国、独立。2003年 渡伊、PHOTOGROUP SERVICE所属。 2005年 帰国。
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