映像撮影ワークショップ
第3回

カメラ位置と距離感で伝わる「思い入れ」と「緊張感」

映像制作、とりわけロケを伴う撮影や取材によって制作した作品では「伝わる」映像に仕上げるためにノウハウが必要です。技術の体得には実際に手を動かすことが重要ですが、ときには先達から基本的な考え方を学び、自分の中に下地を作ることも同じくらい大切なことではないでしょうか。

映像撮影ワークショップ 新版」著者の板谷秀彰さんは、1970年代からテレビ、映画、CMなど幅広い映像制作の現場で活躍するベテランカメラマン。本書は「ビデオサロン」誌で過去に連載していた内容に加えて、2021年現在の状況を踏まえた加筆原稿を収録。内容はプロとしての心がけや知識を伝える「基本編」、撮影に関わる具体的な技術を解説する「実践編」、カメラマン目線で実際の撮影現場を振り返る「現場編」の三章立てになっており、長くプロとして積み重ねてきた論考やノウハウを読み解くことができます。

本記事では「基本編」より、カメラポジションに関する考え方をお伝えします。

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映像撮影ワークショップ 新版

感情が作るカメラポジション

イラスト:長繩キヌエ

今回は水平方向の関係性、つまり距離についてお話をします。

まずレストランなど食事に行ったことを思い出してみてください。一緒に行く人やその時の状況によって、席の座り方が変わると思います。例えば、仲の良い友達と一緒だったら、並んで座るかもしれませんし、意中の人に気持ちを伝えようと決心した時には、面と向かって見つめ合うように座ると思います。もっと大人数の宴席ならば、主催者側なのか、客として招待されているのか、なおさら自分が置かれている立場を考えるはず。それにより目立たない隅っこに座ったり、晴れ舞台であれば真ん前に陣取るかもしれません。

実はカメラを構えた時にも、この感覚が大事なのです。カメラマンと撮影対象の人やものとの距離に関しても、そうした関係性が潜み、それを上手にコントロールする必要があるのです。

カメラポジションの争奪戦

ある俳優さんをドキュメンタリー取材のために長期間にわたって撮影していた時のことです。ある日、この俳優さんの結婚式を取材しました。芸能界の人ですので、披露宴の会場には僕のカメラ以外にもニュースやワイドショーのカメラがたくさん来ていました。

宴もたけなわ、お決まりのケーキカット!イヤイヤ入刀というのか。要するにウエディング・ケーキを前に、新郎新婦がナイフに手を添えて、「初めての共同作業」という例のシーンを迎えた時です。この様子をカメラに収めないと社に戻れない報道陣により、ウェディング・ケーキの前には、ずらりとテレビやスチルカメラの放列ができ、一瞬にして押し合いへし合いの超混雑状態となりました。

何かの出来事を伝えるという場合「その場で起こっていることが一番良く見える位置にカメラポジションを取る」というのがごく常識的な判断。この場合も新郎新婦の顔が両方ともよく見えて、豪華なウェディング・ケーキもよく見える、対象に正対した正面のポジションが一番適切なポジションだと判断したのでしょう。そのため、如何にその場所を獲得するかでカメラマン同士がおしくらまんじゅうに励むという、撮影だかプロレスだかよくわからない状況になっていました。

新郎のすぐ隣の位置にポジションを取った

その時の僕はというと、自然に新郎のすぐ隣の位置にカメラを構えてポジションを取ったんですね。なぜかというと、その答えは簡単。取材している俳優さんと仲良しになったからです。

ドキュメンタリーの仕事は、ある程度の時間をかけて長期にわたって取材を続ける場合が多いものです。それこそ被写体となる方には「おはよう」と目覚めた時から「おやすみ」まで、とことん密着してお付き合いすることもあります。この間はずっとカメラを回しているわけではなく、たわいもない雑談もすれば、一緒に飯を食ったりもする、酒も呑む。有り体に言えば、カメラを回していない時間のほうが断然長いわけです。

そうしたお付き合いをさせてもらった人の結婚式。「お仕事」として詰めかけたカメラマンたちと横並びでカメラを構えるのではなく、僕はこの瞬間、この人がどういう状態であるのか、どんな気持ちでいるのかをもっと「知りたい」「見たい」という感情に支配されて、思わずこの人の側にいってしまったんです。誰だって好きな人の側は離れたくない、逆に苦手な人だったら、目と目が合わないようにするとか、なんとなく距離をとったりしますよね。まさにこの心理なんです。

カメラ自体が対象に近づくことは自然で大切なこと

ビデオカメラは目の前に起こる現実を正確に記録する優 秀な機械です。ある程度の距離が離れたからといって、その能力が失われることはありません。しかし撮影の対象の体温や息づかいすら感じる距離に肉薄してはじめて感じることも多々あると思います。共感する、親近感を持つ、そういった対象を深く記録し表現しようとするとき、カメラ自体が対象に近づくことは自然でまた大切なことなのです。

もちろん居心地の良いカメラポジションだけで満足できるわけでもありません。敢えて辛い身の縮むような場所にカメラを構える必要がある場合も出てくるでしょう。長く取材をして親しくなった対象に、ズバリと聞きにくいことを直球でインタビュー、と思った時には対決するように相手の真正面にカメラを構える時も出てきます。

これは撮影対象が人間以外でも同じです。例えば吹雪に耐え雪原にけなげに立つ白樺の木も、近づいてその木肌をなめるように撮影してあげれば、実に愛おしい存在として表現されるのではないでしょうか。どこにカメラを構えるかで被写体への思い入れや緊迫感が映像にも出てくるのです。

ところで、結婚式の話には後日談があります。新郎のすぐそばでカメラを構えてしまった僕はずらりと並んだ報道陣のカメラから見たら邪魔そのもの。後からこっぴどい苦情を、先輩カメラマン諸氏から頂くというオマケが付いてきてしまいました。でも多少のトラブルは覚悟の上で、自分オリジナルのカメラポジションを取るって、必要なことだと思いませんか。


映像撮影ワークショップ 新版

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