「熊本城写真集 K.J. 2016-2019 KUMAMOTO-JO」被災前後の熊本城、修復の過程を記録した写真家・馬場道浩さんインタビュー

(c) 馬場道浩

2016年に起きた熊本地震で被災した熊本城の天守閣が、3年の修復作業を経て、2019年10月5日に一般公開されました。熊本城の修復は、天守閣のみの完全復旧でさらに2年、城全体の復旧は20年後とも予測される事業であり、在りし日の姿を取り戻すには長い年月を必要とします。天守閣部分の一般公開は、これからも続く修復作業の最初の区切りとも言えるでしょう。

熊本城写真集 K.J. 2016-2019 KUMAMOTO-JO」(以下K.J.)は、被災前から熊本城の記録を行ってきた写真家・馬場道浩さんが、復興の軌跡を記録した写真集です。被災前の熊本城の姿に始まり、被災直後、復興開始から天守閣公開直前にいたるまでの様子を、コピーライター・赤城廣治さんの言葉とともに追うことができます。

PICTURESでは 熊本城の天守閣が一般公開される前日にあたる10月4日、K.J.著者の馬場道浩さんに写真集の制作意図などについてお話を伺う機会を得ましたので、本記事ではその模様をお伝えします。インタビューには写真集の編集を手掛けた玄光社の平山勇介も同席。取材時のエピソードを披露しています。

(c) 馬場道浩

 

熊本城写真集 K.J. 2016-2019 KUMAMOTO-JO

 

 

【編集部】――熊本城を撮りはじめたきっかけを教えてください。

馬場さん(以下敬称略):元々、いろんな仕事で熊本に行く機会はあったのですが、熊本市と組んで仕事をするようになった最初のきっかけは、タイ人向け観光パンフレットの制作に関わったことだったかと思います。その後、その時の担当者の方にお声がけいただいて作ったのが、ピース又吉直樹さんに出ていただいたPRパンフレットでした。これが2015年のことです。このご縁で、熊本市と撮影の仕事をご一緒する機会が増えました。

当時はこの流れで、熊本のいろんなものを撮ってたんですよね。その中に熊本城もありました。写真集の中には震災前の写真もありますが、これは震災の約1か月前に撮影したものです。記録として熊本城の復興を撮っていくことになったのは、震災から2か月経過したくらいの時期。場内はまだ手つかずの部分も多かった。写真集にはその時期の写真も掲載しています。

 

――写真集を制作するにあたり、気をつけたところはありますか。

馬場:こだわったところは多々ありますが、特に気をつけたのは色味ですね。特に空のトーンは、微妙なところをしっかり出せたと思っているので、ここは見てほしいポイントです。

写真の見せ方という点で一つ挙げるならば「震災直後、そして修復中の熊本城に青空は入れない」というところでしょうか。写真集に収録している作品は、基本的に曇り空のときに撮影したものです。その方が象徴的というか、余計なものが入っていなくて良い。逆に、復興の工事が始まってからは、青空のカットも増やしています。写真集のラストで復元された天守閣は、バックを青空にしようと決めていました。

(c) 馬場道浩

復興作業を取材する中では、その時、そのタイミングでないと撮れないものを押さえられたというのも幸運だったと思います。例えば天守閣の手前にクレーンが写り込んでいる写真や、重機を乗り入れる際、道に鉄板を敷いている写真などがそれです。撮りたいアングルというのがいくつか決まっていたので、結果的に対比のような形になっている作品もいくつかありますね。

(c) 馬場道浩

 

馬場道浩さん(左)と、写真集の編集を手掛けた玄光社の平山勇介(右)

――収録する写真の選定についてもお聞かせください。

馬場:今回は写真集のために150カットくらい選んでるのですが、その全てについてきっちりトリミングして、比率を同じにしました。画面の端にちょっと樹が写っているのもすごく気になってしまうので、そのあたりはかなり気を遣っています。セレクトにはかつてないくらい時間をかけたんじゃないかな……。

平山:セレクトは、みんなで馬場さんの事務所に集まって、3回くらいやりましたよね。基本的には、震災前から天守閣が復元されるまでの時系列に並べる構成にするという方針。最初はひとまず時系列順に写真を集めて、ページに収まる範囲でセレクト。2回目、3回目で順番を決めて、写真を一部入れ替えながら、構成を煮詰めていきました。

馬場:構成については、同じアングルから撮ってる写真もいくつかあったので、完全に時系列で選ぶのはアリかなとは思っていたんですよ。震災前の姿と、震災後、そして修復が進んだ現在の姿を、同じページ内や見開きの形で見せるというアイディアもあった。でもそれはちょっとわざとらしいよね、ということで、なしにしました。

――写真集は、多くのパートで言葉と写真が交互に並ぶ構成になっていますよね。熊本城を「あなた」と呼びかける赤城廣治さんの言葉が印象的です。

馬場:今回の写真集では、赤城くんに何かしらのコピーを入れてほしかったので、取材に同行してもらいました。それぞれの写真に関して「これは天守閣です」とか「宇土櫓です」みたいな説明的なキャプションを入れるよりは、彼の思いを表現してほしかったんです。

平山:被写体を「あなた」と呼ぶのは、赤城さんが打ち合わせのときに持ってきてくださったアイディアです。文章のコンセプトは「熊本城を愛する人からの手紙」。その方向性もそこで決まりました。

馬場:赤城くん、相当気合い入れてたんじゃない?何度も直してたもんね。

平山:そうですね。「K.J.」では出版にあたって撮り下ろしの写真を収録しているんですが、僕がその撮影に同行したときも、赤城さんはずっとメモを取っていました。

馬場:そういうわけで、文章部分は全部彼にお任せしました。写真集が完成してから通して読むと、やはりいいコピーを書いてくださったな、と思います。熊本の方々にとって、熊本城は熊本という土地のシンボルだし、同時に日常の一部でもあるわけです。でもその姿は、震災によって一度は失われかけました。それに対する悲しみと、復興への希望が赤城くんの文章でよく表現されているように感じます。

本誌中、作品とともに掲載されている赤城廣治氏の文章「子供たちの子供たちに元気なあなたを逢わせたい。今こそ思いをひとつに。」

――お使いの機材についても教えてください。

馬場:僕は機材にあまり興味がないので、機材は手広く揃えないで、統一するようにしているんです。デジタル環境になってからはずっとニコン。今はD850がメインですね。これはフィルム時代からそうで、4×5はジナー、中判カメラはハッセルブラッドでした。「K.J.」に関していえば、ほぼすべてのカットをズームレンズで撮っています。

ミラーレスのZシリーズも買いましたが、そっちは趣味用です。

風景を撮影するということで、三脚も使っているのかと訊かれるのですが、僕はほとんど三脚は使わないんですよ。「K.J.」でも、天守閣を正面から撮った定点カット以外ではほとんど使っていないと思います。

(c) 馬場道浩

――被災した熊本城が一定の水準まで修復されるまでの記録を残す、という仕事に一区切りがついた形ですが、これまでを振り返って、思うところをお聞かせください。

馬場:今回、僕が震災後の熊本城を記録するにあたって良かったことは、震災によって熊本城内で直接負傷した人がいなかったことでした。それによって、震災後も熊本城を撮り続けることに集中できた。こう言うと軟弱だって思う人もいるかもしれないですが、そう思われても僕は構わない。

2016年の熊本地震が起きたのは夜中だったから、熊本城内では誰も怪我をしていないんですね。もし震災が昼間だったら、たぶん怪我じゃ済まない人だっていたかもしれない。ここで人が亡くなったから撮るとか撮らないとか、そういうことは写真を撮る基準にはしないけれども、仮にそういうことが起こったとしたら、そういう場所は撮らなかったと思う。それは僕が報道カメラマンではないからです。

でも結果的には、写真展もやらせてもらえたし、作品が復興を応援するポスターにもなった。このポスターがきっかけになって、平山さんにお声がけいただき、写真集の出版に繋がりました。それは僕にとってはすごくありがたいことだし、幸せなことです。今ではこれは運命だったんじゃないかとさえ思っていますよ。

熊本城全体の復旧は20年後だと予想されています。もし許されるなら、20年後にもまた写真集を出したいですね。


熊本城写真集 K.J. 2016-2019 KUMAMOTO-JO

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