日々目まぐるしく変化していく現代社会において、世界や国内の情勢を正しく見極めるために知っておきたい教養こそ「地理」「歴史」「公民(政治経済)」と感じている方も少なくないのではないでしょうか。
「オトナのための教養が身につく! 日本の地理・歴史・公民」では、スタディサプリの社会科講師を務める伊藤賀一が、義務教育課程の内容にプラスアルファした情報を分かりやすく解説。イラストや図版つきのオールカラーでしっかり学べる”教養書”となっています。これからの社会を生き抜く上で必須の知識を、「オトナ」だからこそ学び直したい時に役立つ一冊です。
第三回の本記事では、第二章の「歴史」から、室町時代後期からの「戦国時代」についてご紹介していきます。
畿内での争いが全国を二分
室町時代の後期になると、6代将軍足利義教(よしのり)が暗殺されるなどして、将軍の権威が衰えました。力を増した有力守護大名同士の主導権争いが、8代将軍足利義政の跡継ぎ争いと結びつき、1467年に応仁の乱が始まります。10年以上にわたる戦乱のため、京都は荒廃しました。 幕府は全国的な統率力を失い、争いが地方にもおよぶ戦国時代に突入しました。
下剋上じゃ、成り上がり上等!
乱世になると、まとまった領域を安全支配する戦国大名が登場しました。従来の守護大名は幕府の任命ですが、戦国大名は実力で支配権を勝ち取りました。この頃は、身分が下の者が上の者を倒す「下剋上(げこくじょう)」が多く見られます。戦国大名には、守護大名が成長したケースや、守護の重臣の守護代が下剋上を起こしたケース、さらに下級の国人や地侍が下剋上を起こしたケースなどがあります。
各地の有力な戦国大名
各地に群雄が割拠(かっきょ)し、人気も高い戦国時代。川中島の戦いで激突した甲斐国(現・山梨県)の武田信玄と越後国(現・新潟県)の上杉謙信は特に有名です。 織田信長の妹・お市の方を妻にした近江国(現・滋賀県)の浅井長政(あざいながまさ)のように、政略結婚によって同盟を結んだ例も多数あります。しかし、浅井氏が織田氏を裏切ったように、同盟が破られることもしばしばありました。
戦乱時代を制するための国づくり
戦国大名たちは、領国を治めるために独自の決まりである分国法を制定しました。例えば、家臣同士の争いは双方を罰するという「喧嘩両成敗(けんかりょうせいばい)」の規定が有名です。
また、経済力を強めるために城下町を造り、商工業者を呼び寄せるための政策(楽市令)や関所の撤廃などを行いました。