ニッポンぶらりカメラ旅
第1回

旅で撮る写真の楽しみって何でしょう?

写真にハマっているアマチュアにとっては、「テーマはどんなものにすればよいか?」「撮影方法はどうすればよいか?」「上手に写真を撮るためには?」など、本気になればなるほど、堅く考えてしまうものです。そんな人達に写真家の丹野清志氏は、著書「ニッポンぶらりカメラ旅」の中で、肩ひじはらずにカメラを持ってふらっと旅をして、思いつくままに写真を撮ることを勧めています。「町から町へ、なりゆきまかせで移動していくと、いろいろな出会いがあり、出会いの一つ一つに心がふるえるのです。」と言います。
そんな心をふるわせる被写体に出会える旅はどうしたらできるのでしょうか?


本記事では、第1章「ぶらりカメラ旅入門」からのアドバイスをご紹介します。

ニッポンぶらりカメラ旅(丹野清志・著)

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シャッター切る瞬間の快感

「旅」を広辞苑でひくと『住む土地を離れて一時他の土地へ行くこと』とあります。
昔は『遠い土地に行くことに限らず、住居を離れることをすべて「たび」と言った』とも記述されています。つまり辞書の解釈によれば家を出れば旅ということになります。
写真の魅力は、肉眼で見たものが記録されているだけではなく、撮影者が写真の場所で感じたこと、思ったことも写し込まれていることです。ちょいとかっこよく言うと、旅で撮る写真とは心の記憶をとらえること、であると言えるのかもしれません。

俳句の世界で旅人といえば、古くは江戸時代の俳諧師松尾芭蕉、漂泊の旅人菅江真澄、そして戦後日本の俳人種田山頭火が思い浮かびますが、古き旅人が俳句にそれぞれの心を表現したように、われらは言語ではなく写真だということです。まあ、先人の生き方をまねようとすればちょいと身構えてしまいますが、気分だけは芭蕉ふう、山頭火ふう、というのでいいのだと思います。

波静かな北の海が心地よい。

写真は感性で撮るもので考えて撮るものじゃない、ということが言われますが、肉眼で見ている世界のある部分をカメラのフレームで切り取るのですから、何も考えないなんてことはない。感性を動かすためには、身体のどこかで何かを考えているはずです。
考えて写真を撮る、などと言うとなんだか堅苦しくなりますが、理屈をこねまわして深刻に考える写真というようなことではまったくなく、私などは、なんとなく気になる風景だったので撮った、写真にしたら面白くなりそうなモノだったから撮った、といった具合ですからいたって気楽なものです。
が、カメラを構えてフレーミングする時、それは視界の一部を切り取るという行為ですから、ちょいと神経がピリッと張りつめます。そのピリッが考えることなのです。つまり、身体で考えるということは、風景やモノや人と出会ってカメラを向け、シャッターを切る瞬間のことです。その一瞬の快感に浸ることが、旅で写真を撮る楽しみなのです。

 

<玄光社の本>


ニッポンぶらりカメラ旅

著者プロフィール

丹野 清志

(たんの・きよし)

1944年生まれ。東京写真短期大学卒。写真家。エッセイスト。1960年代より日本列島各地へ旅を続け、雑誌、単行本、写真集で発表している。写真展「死に絶える都市」「炭鉱(ヤマ)へのまなざし常磐炭鉱と美術」展参加「地方都市」「1963炭鉱住宅」「東京1969-1990」「1963年夏小野田炭鉱」「1983余目の四季」。

主な写真集、著書
「村の記憶」「ササニシキヤング」「カラシの木」「日本列島ひと紀行」(技術と人間)
「おれたちのカントリーライフ」(草風館)
「路地の向こうに」「1969-1993東京・日本」(ナツメ社)
「農村から」(創森社)
「日本列島写真旅」(ラトルズ)
「1963炭鉱住宅」「1978庄内平野」(グラフィカ)
「五感で味わう野菜」「伝統野菜で旬を食べる」(毎日新聞社)
「海風が良い野菜を育てる」(彩流社)
「海の記憶 70年代、日本の海」(緑風出版)
「リンゴを食べる教科書」(ナツメ社)など。

写真関係書
「シャッターチャンスはほろ酔い気分」「散歩写真入門」(ナツメ社)など多数。

著書(玄光社)
町撮りアート写真ブック
ニッポンぶらりカメラ旅
お気に入りカメラで楽しむ自分流町歩き写真の方法
写真集のつくり方
写真教室では教えない“新スナップ写真”の方法
誰も教えなかった “自分流写真”の方法
[四季を味わう]ニッポンの野菜


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