映像制作、とりわけロケを伴う撮影や取材によって制作した作品では「伝わる」映像に仕上げるためにノウハウが必要です。技術の体得には実際に手を動かすことが重要ですが、ときには先達から基本的な考え方を学び、自分の中に下地を作ることも同じくらい大切なことではないでしょうか。
「映像撮影ワークショップ 新版」著者の板谷秀彰さんは、1970年代からテレビ、映画、CMなど幅広い映像制作の現場で活躍するベテランカメラマン。本書は「ビデオサロン」誌で過去に連載していた内容に加えて、2021年現在の状況を踏まえた加筆原稿を収録。内容はプロとしての心がけや知識を伝える「基本編」、撮影に関わる具体的な技術を解説する「実践編」、カメラマン目線で実際の撮影現場を振り返る「現場編」の三章立てになっており、長くプロとして積み重ねてきた論考やノウハウを読み解くことができます。
本記事では「実践編」より、「モノまね」で技術を学ぶ方法についての説明を抜粋して紹介します。
モノまねこそ名カメラマンへの近道
ミラーニューロンを刺激せよ
突然ですが「ミラー・ニューロン」(※1)って知っていますか?ニューロンとは脳内にある神経細胞のこと、ミラーは解説するまでもなく鏡です。鏡の脳神経?一体なんのことかさっぱり分かりません。簡単かつ大胆に言ってしまえばこれはどうやら「物まね」を司る脳の機能らしいのです。
最先端の研究で徐々に明らかにされつつあるミラー・ニューロンの働きとは、ウィキペディアによれば、霊長類などの動物が自ら行動する時と、他の同種の個体がそれと同じ行動をしているのを観察している時の両方で活動電位を発生させることだそうです。要するにサルや人などは、誰かが何かをしているのを観察する時に、自分が同じ行動をする場合と同じ脳内の活動が起きているんですね。このミラー・ニューロンの働きのお陰で「物まね」ができ、それまで自分が持っていなかった能力の獲得に繋がるそうです。余談ですが、ミラー・ニューロンはサルの研究過程で発見されたらしいですよ。物まねの代名詞ともなっている「猿まね」。そのサルからこんなことが発見されるなんて、なんだか意味深ではありませんか。
「すべては模倣に始まる」と昔から言われていたことが、ミラー・ニューロンの発見と研究で科学的にも立証されようとしているらしいのです。何しろ、真似たいと思う対象の動作を見たり観察するだけで、ある種の疑似体験が脳内に蓄積されるわけですから、これ以上の学習はないのでは?こりゃあ、真似なきゃソンソンですよ。
思えば、僕が撮影技術を覚えたのはすべて撮影の現場でした。しかしながら、誰かから「これはこうするんだよ」と教えをいただいた経験は皆無。それどころか「撮影の現場は学校じゃないぞ!」と先輩方から口を酸っぱくして言われ、特に意地悪な先輩にはこちらが疑問点を尋ねても「そんなのは自分で考えろ」と冷たく突き放されたりする日々。もちろん撮影テクニックを親切に教えてくれる雑誌連載もないし、プロのための教科書なんて日本中のどこの本屋を探しても(※2)見つかりませんでした。
それでも毎日々、先輩達の仕事になんとかついて行かなきゃと必死になったお陰で、撮影に関する基本的な技術を習得することができてしまっていたのですね。全く「見よう見まね」とはよくぞ言ったものです。よく「桃栗三年柿八年」と言いますが、撮影の世界では「ハレ切り三年、竿八年」(※3)なんて言うんですよ。そうやってある程度の時間、駆け出しの撮影助手(※4)にとっては雲上人とも言える撮影技師や先輩諸氏の仕事ぶりを見ることで、目一杯このミラー・ニューロンを稼働させ、自分がカメラマンとなって仕事をする準備のために蓄積していったわけです。
映像を見ることが最良の勉強法
下積みを経験するプロの現場はいいけど、全くの独学でカメラワークを学ぼうとする方々は真似しようにもお手本がないと、嘆かれるかもしれません。実際の撮影現場で技術者達がどういう風に仕事をし ているかを見学するなんて幸運は、そう滅多にある ものではありません。でも心配無用です。映像表現物は、どんなに高度な撮影テクニックを駆使して作 られたとしても、結局はそれを見る側がどう受け取るのかが全ての評価となります。要するに、表現の 本質とは直接結びつかない現場の些細なことまで「物まね」する必要などなく、でき上がった表現物そのものを「物まね」すればそれで充分なんです。僕の場合で言えば、自分でも知らず知らずのうちに、パン棒を握る時に師匠と仰いでいたカメラマンと瓜二つの握り方をしているのにハッと気付くことがあります。実は自分で適切なパン棒の握り方(※5)を研究せずに、猿まねで染みついてしまったやり方をそのまま使っていたんです。これなどは全く猿まねの弊害。
それでは一体何をミラー・ニューロンの活動の対象にしていけばいいのかと言えば、巷に溢れかえるありとあらゆる映像表現物。テレビでも映画でも、もちろんネット上に氾濫する様々な動画でも、全ての映像表現を模倣の対象にしていけば良いのです。ねっ簡単でしょ! 眼前に流れる映像を、あたかも自分が撮影しているような心持ちで見る。できれば撮影している姿を想像して手や体の動きなども交えてシミュレーションしてみれば、さらに効果がありそうです。
惚れ惚れするような素晴らしいカメラワークはもちろん、こいつはどうなんだ?と考えてしまうようなカメラワークだって、アンチ・テキストとして脳内に叩き込めばそれはそれで有意義ではないでしょうか。ただし、こういった精神の持ちようで映画やテレビを見ると、純粋な鑑賞者という立ち位置からずれてしまうので、笑える場面で笑えない、泣けるところで涙が出てこないなんてちょっと悲しい事態に陥ってしまう可能性があります。ですが、まあ、名カメラマンへの厳しい修行の一歩を踏み出したのだと肝に銘じ、涙を呑んで諦めることにしてください。
本書のこの項ではこの後、映像制作に携わる人が撮影技術に関する理解を深めるうえで、それまでの人生でその人がどれだけ長く映像に触れてきたかが重要になるとの指摘が続きます。
※1:ミラーニューロンの発見は精神科学の分野でこの 10年間の最も重要なものとする研究者もいるそうです。最近ではこのミラーニューロンの働きを利用して天才を育てる、なんていう教育法が現れて世のお母さん達の注目を浴びていたりする。
※2:今でこそインターネットで本のタイトルや内容の一部を検索すれば簡単に目的の本にたどり着けますが、その当時は神田の書店街をただひたすらに漂流するしかなかった。唯一の参考書が「American Cinematographer」という 1920年に創設されたアメリカの撮影監督協会発行の雑誌。最新のハリウッド映画の技術情報などその当時はまさに玉手箱。しかし全ページ英語なのが玉に瑕。はたして理解できていたのかどうか…。
※3:ハレ切り三年竿八年。桃栗三年柿八年をもじって映画業界で言われた慣用句。ハレ切りとは撮影助手の仕事でハレーションを切ること、竿とはマイクブームのこと。簡単なように見える基本的な仕事でも、習得するには長い年月が必要だという意味でしょうか?
※4:撮影技師とは、映画の撮影所内でカメラマンを指す言葉。他に照明技師、録音技師がある。助手から技師へと昇格することがすべての助手達の夢でしたが、それはまたひじょうに狭き門、至難の業でもありました。で、撮影技師という言葉には羨望と尊敬の念が込められています。たしかにカメラマンという呼び方より重みは格段にある。監督!と呼ばれるかディレクターと言われるのかも同じようなものかも。
※5:実は正しいパン棒の握り方、などというものは存在しません。実に各人各様。強く握る人もいれば、実にソフトに柔らかくそっと持つ人もいる。まさに好みです。僕はわりと柔らかい握りのほうでしょうか?