映像撮影ワークショップ
第5回

光でストーリーを書く?映像の「ルック」とは何か

映像制作、とりわけロケを伴う撮影や取材によって制作した作品では「伝わる」映像に仕上げるためにノウハウが必要です。技術の体得には実際に手を動かすことが重要ですが、ときには先達から基本的な考え方を学び、自分の中に下地を作ることも同じくらい大切なことではないでしょうか。

映像撮影ワークショップ 新版」著者の板谷秀彰さんは、1970年代からテレビ、映画、CMなど幅広い映像制作の現場で活躍するベテランカメラマン。本書は「ビデオサロン」誌で過去に連載していた内容に加えて、2021年現在の状況を踏まえた加筆原稿を収録。内容はプロとしての心がけや知識を伝える「基本編」、撮影に関わる具体的な技術を解説する「実践編」、カメラマン目線で実際の撮影現場を振り返る「現場編」の三章立てになっており、長くプロとして積み重ねてきた論考やノウハウを読み解くことができます。

本記事では「基本編」より、映像作品全体の表現の傾向を表す「ルック」という概念について解説します。

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映像撮影ワークショップ 新版

撮影者に必要な「ルック」という概念

イラスト:長繩キヌエ

LOOK(ルック)って知っていますか? ハリウッドの映画用語なんですが、日本ではあまり一般的ではありません。作品全体のビジュアルを総合的に捉える抽象的な用語のためか、映画用語辞典などでもあまり説明されていませ ん。言い換えるなら、ビジュアル面でのスタイルとでも言うのでしょうか。感覚的にはファッションのアイビー・ルックとかニュー・ルックとかのほうが近いかもしれません。

こんな説明しかできないのは残念ですが、言葉だけでなく、我が国の撮影業界にはルックという考え方そのものがどうも浸透していないように思えてなりません。しかしハリウッドであろうと日本であろうと、優秀な撮影者として評価できるかどうかは、このルックをいかに獲得できるかにかかっていると思います。

照明をコントロールする撮影監督

ハリウッドと日本の映画制作における技術面での一番大きな違いは、撮影監督制度を採っているかどうかだと思います。撮影監督は、カメラを扱う人=カメラマンという限定的な役割に止まらず、広く映画のビジュアルに関する権限と責任を担っています。例えば、日本では照明技師というポジションがあり、監督やカメラマン(伝統的な言い方でならば撮影技師)と相談はするにしても、実際の現場で照明技師が照明の采配を担当し、カメラマンと分業しているシステム。

一方ハリウッドでは、照明技師というポジションは存在せず、撮影監督が照明をコントロールします。要するに撮影監督にビジュアル面での権限が集中し、結果として撮影監督の大きな役割としてルックを決め、撮影を通してルックを管理することが要求されます。

具体的にルックを構成する要素とは、まずはカメラをどう扱い、どのように映像として表現するかが一番大切なと ころです。映像はシャープなイメージで表現するのか、ソフトなイメージなのか。寒色系の色相を中心とするのか、暖色系なのか。彩度はどうなのか等々。これをもとにカメラやレンズ、フィルターなど機材を選択します。もちろん、カメラワークもルックを大きく左右する要素なので、移動撮影やクレーン、手持ちショットの使いどころや割合などの撮影プランも決めていきます。

ここまでは日本でもカメラマンが考える技術的な要素で、さほど大きな差はないようです。しかし優秀と言われる撮影監督は、自分の求めるルックを作り出するために、多種多様に渡る細かい要素に気を遣っていきます。例えば、役者の衣装やセットデザイン、小道具など。日本では、カメラマンは意見を聞かれる程度の関わり方しかしない細部でも、欧米の撮影監督は積極的に関わり、コントロールを試みます。

二人の巨匠、ストラーロとウィリス

このルックを作り出す名手、巨匠といえば、ヴィットリオ・ストラーロとゴードン・ウィリスの二人を挙げることができると思います。

ヴィットリオ・ストラーロはイタリア生まれの天才肌で芸術家タイプの撮影監督。若干歳にしてベルトリッチ監督と組んだ「暗殺の森」で世間をあっと言わせ、その後も「ラストタンゴ・イン・パリ」などの作品で斬新な撮影手法を披露するのですが、ルックという面では、なんといってもフランシス・コッポラと組んだ「地獄の黙示録」。ストラーロはこの作品でアカデミー撮影賞を受賞しています。

彼が提唱する撮影理論は「撮影は光で書く」と「色彩は感情だ」という二つ。光で描くのではなく、「書く」と敢えて言うのは、感情や思想、文化的な要素などを背景として、単なるエネルギーに過ぎない光に感情を移入し、ストーリーを書くということ。

もう一つの「色彩は感情だ」という考え方は、色が表す特定な感情や意味にこだわって撮影をすることで、登場人物の感情表現に 色が持つシンボル性を利用しようというものです。彼の言葉を 借りれば「青は沈着冷静そして不安、赤は情熱、緑は不安…」といった具合です。ストラーロのルックを一言で言ってしまうとアクが強い。もし彼が画家だったとしたら、パレットにはさぞかし強い原色の油絵の具が並べられるだろうなと想像できます。

もう一方の雄がゴードン・ウィリス。この人はルック云々以前に現役の撮影監督の中で押しも押されもせぬ最高峰に位置する人。ただストラーロと比べると、独自性というよりは与えられたあらすじや予算、スタッフなどの条件の下で最高の仕事をする、言ってみれば完璧主義者。

ウィリスのルックに共通して言えるのは、リアリティーを大切にしているということ。そうした意味でもストラーロと対極に位置しています。ライティングは厳密なソース・ライティングを作る傾向が強く、特異な色も使わない、どちらかというと地味なルック。ウィリスの良い意味での代表作が「ゴッド・ファーザー」、「同PART II」。無謀とも言えるぐらいにアンダー目の露出で撮られたローキーな画作り。しかもトップライトを使うことで、ハリウッド映画ではタブーともされる登場人物の目が黒くつぶれているショットも意図的に使われています。それがマフィアたちの存在と彼らが生きた時代を実によく表現しているん ですね。まさに映画のルックとはこういうものだと言って いるような作品です。

と、まあハリウッドの撮影監督の話を長々としてしまいましたが、莫大なお金を掛けて制作される映画だから、思った通りのルックが実現できるんですよ、という羨ましい話ではありません。どんなに低予算の作品で、たとえ短いニュースの映像でさえもルックを作り出すことは可能ですし、またそう心がけて撮影にあたるべきだと思っています。


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