対談:ナカムラクニオ ×谷川俊太郎「ことば」と「つくろい」

金継ぎとは、割れたり欠けたりした陶磁器をうるしで接着し、継ぎ目を金、銀、朱色などで飾る伝統的な修理技法のこと。しかしそれは、単なる修理や修復とは、まったく違う行為だ。室町時代の茶人たちは、茶器の「割れ」という欠損の部分を金、銀、蒔絵などで敢えて強調し、それを「景色」として楽しむという独特の美を発見したのだ。

映像ディレクターであり、ブックカフェ「6次元」の店主でもあるナカムラクニオさんは、今から15年ほど前、いただきものの大切な茶碗が欠けてしまうというアクシデントをきっかけに金継ぎに出会った。以来その魅力にはまり、今では金継ぎ作家としても活動している。

そんなナカムラさんが、「憧れの人」である詩人、谷川俊太郎さんと、”つなぐ”こと、”つくろう”こと、そして”うつわ”について語り合った。

金継ぎ手帖 はじめてのつくろい

私は、何も新しく書かない。既に書かれてあることを、見出そうと努める。板壁の木理。使い古した机。コカコーラの空き缶でつくった灰皿。麦藁帽子。窓硝子。敷居。押入。蒲団。そんな単語の中に突然、勇気という言葉をはめこんでみたらどうだろうか。この文脈の中で、その一語が何ひとつ語らぬことを私は知っているのだが、それでも私はそう書いてみる。自分が臆病であることを身にしみて知っているから。
── 谷川俊太郎 『日本語のカタログ』(思潮社)「眠りから眠りへ」より。

ナカムラクニオ(以下、ナカムラ):俊太郎さんの詩の中で「つくろい」や「継ぐ」ことがテーマになっている作品は、ありますか?

谷川俊太郎(以下、谷川):『日本語のカタログ』(思潮社/1984年)っていう本があって、ある意味キルト的な感じだよね。言葉のクレイジーキルトだね。

ナカムラ:この『日本語のカタログ』は、日常のささやかな言葉の断片が並べられていて、世界は、すべて「詩」であるという斬新な作品でした。では、言葉をクレイジーキルト的に「継ぐ」「つなぐ」ことの美しさって何だと思いますか?

谷川:言葉を寄せ集めて自分で作る「ブリコラージュ(Bricolage)」は昔から好きだったんだよね。今で言う「編集」っていう行為だね。

ナカムラ:ブリコラージュ(Bricolage)は、「寄せ集めて自分で作る」「ものを自分で修繕する」というフランス語ですが、俊太郎さんの中ではどのような行為を指すのでしょうか?

谷川:自作のラジオを修理して使っていましたが、部品を集めて、ダイヤルをまわすと音が鳴るっていうのが、ブリコラージュですね。昔のラジオは、まず真空管、ソケット、コンデンサー、バリコン(バリアブルコンデンサー)とかいろんな部品で出来上がっていて、それが全部線でハンダづけされていたの。ひとつがダメだと使えない。

ナカムラ:詩で言うところの主語や述語みたいな感じですね。どこか部品がひとつでもダメだと伝わらない。推敲を重ねて音を奏でる。

谷川:回路ですね。

ナカムラ:ラジオの修理と詩を書くことが近いっておもしろいですね。どちらも「編集」するってことですよね。ちなみに俊太郎さんが、生まれて初めて「つくろい」したのは、何ですか?

谷川:昔、家に「藤張りの椅子」があって、気に入ってたんだけど、壊れちゃって修理したのを覚えてる。あと、ブレーカーのヒューズを直すとか。父(哲学者の谷川徹三)が使っていた湯のみ茶碗も直して使っている。ご飯茶碗なんかも。親とつながっていて、慈しむ安心感があるね。

ナカムラ:お父さまの湯のみ茶碗をずっと大切に使っているなんてすてきですね。

谷川:電気製品でもよくあるように、昔は故障したら修理に出したわけですよね。そして戻って来て、また生活がつながるわけですよね。でも今はサイクルが早くて、修理じゃなくて新しいものになっていく。修理に出して古いものを使っているうちに、世代が変わっちゃうから不安なんじゃないかな。でも本当は、修理に出して、古いものを使い続けることで、アイデンティティみたいなものを確認できるんじゃないかと思うけど。

ナカムラ:6次元での「金継ぎ」のイベントは、2009年からはじめたんですけど、3.11の東日本大震災の後に、なぜか大反響になったんです。実は、今でも3.11のときに割れたうつわを持ってくる人が一番多いんです。年月が経っても欠片を捨てないで、保管していた人が多くいたということが、興味深いと思っています。しかも、ほとんどがマグカップとか湯のみ茶碗とか、日常使いのうつわなんです。

谷川:本来そういう雑器というのは、自分の生活を、つなぐもの。量販店に行って自分にとって機能的なものを選ぶと、うつわの中の歴史感覚がなくなっていくって感じがするよね。そういう欠落感が今の「つくろい」につながって、歴史に参加できているっていう安心感になるんだね。

ナカムラ:他にも「親の形見」など何か持っていますか?

谷川:日常の茶碗だね。父親は、ほとんど絵は描かない人なんだけど、楽焼きの絵付けをした皿は、大切にとってある。常滑の海の育ちだから泳ぎも達者だったし、すごく魚が好きだったんだよね。

ナカムラ :俊太郎さんにとって「うつわ」って何ですか?

谷川:父は、自分のコレクションしたいいものも使うし、ひどいものも使ってた。うちで、サラダのうつわにしているのもイランの古いものとか。晩年は、わりと使っていたね。

ナカムラ:俊太郎さん自身もラジオ以外に何か作りましたか?

谷川:手を使うことが好きで、延長コードなんかは、ほとんど自分で作っていました。長さも自分で考えて。既製品は、かえって使いにくい。今でも、長さが、自分の好みにしたいときは自分で作ってますね。

ナカムラ:そういえば6次元のスピーカーの配線、コードの配置なんかもすべて俊太郎さんにやってもらいましたが、今でもぴったりでとても便利です(笑)。これまでの「記憶に残っている修理」ってどんなことですか?

谷川:おもちゃじゃないかなあ?模型飛行機を作って、飛ばして、着地に失敗すると直して、元通りに使えるようにするとか。あとは、やはりラジオ。遠くの所から来るもの、っていうのが、詩との共通点があるんだよね。遠くのラジオ局からの声が聞こえたらいい。詩との共通点は何にでも、どこにでもある。旅行も、詩。ファッションも、詩だと思う。

ナカムラ:確かに、「金継ぎ」っていう行為も、とても詩的な作業だと思っています。


これは、俊太郎さんから金継ぎの修理を依頼されたマグカップ。
北欧のデザインだというこの乳白色のマグカップは、大きくて量がたっぷり入るのがお気に入りなんだとか。

さらにその後、俊太郎さんからお礼にといただいたのは、なんと! 陶磁器の研究者で陶芸家である小山富士夫作の徳利と杯。僕の憧れのかたに、こんな素晴らしい宝物のようなうつわをいただくという奇跡。

やはり、金継ぎは、人と人、モノとモノをつなぐ魔法なんですね。


ナカムラクニオ
Kunio Nakamura
1971年東京生まれ。映像ディレクター/荻窪のブックカフェ「6次元」店主。
著書に『人が集まる「つなぎ場」のつくり方―都市型茶室「6次元」の発想とは』(CCCメディアハウス)、『さんぽで感じる村上春樹』(ダイヤモンド社)、『パラレルキャリア』(晶文社)、責任編集短編小説集『ブックトープ山形』(東北芸術工科大学)など。金継ぎ作家としても活動し、全国でワークショップを開催中。
http://www.6jigen.com

谷川俊太郎
Shuntaro Tanikawa
1931年東京生まれ。詩人。
52年第一詩集『二十億光年の孤独』を刊行。 62年「月火水木金土日の歌」で第四回日本レコード大賞作詞賞、75年『マザー・グースのうた』で日本翻訳文化賞、 82年『日々の地図』で第34回読売文学賞、 93年『世間知ラズ』で第1回萩原朔太郎賞、 2010年『トロムソコラージュ』で第1回鮎川信夫賞など、受賞・著書多数。 詩作のほか、絵本、エッセイ、翻訳、脚本、作詞など幅広く作品を発表。 近年では、詩を釣るiPhoneアプリ『谷川』や、 郵便で詩を送る『ポエメール』など、 詩の可能性を広げる新たな試みにも挑戦している。
http://tanikawashuntaro.com


<玄光社の本>

金継ぎ手帖 はじめてのつくろい


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