創作において物語を動かし、表現するキャラクターには、しばしば世界観や物語を象徴するデザインが適用されます。そこには本人の性格や服装、持ち物だけでなく、時にはキャラクター自身の「種族」も含まれており、動物などをモチーフにしたキャラクター造形も珍しいものではありません。
「獣人・擬人化 人外デザインのコツ」では、動物をベースとしたキャラクター造形の方法論とともに、キャラクターの作例を解説。擬人化の際に重要な特徴の捉え方やデフォルメの度合い、動き表現の「人らしさ」「動物らしさ」の出し方など、実際に物語の中でキャラクターを動かす上で把握しておくべきポイントを詳しく知ることができます。
著者は漫画作品「人馬」やゲーム「モンスターハンター」シリーズの3Dモデリング、キャラクターデザインなどに携わっている墨佳遼さん。
本記事では第四章「節足動物の擬人化」より、世間一般で忌避されがちなモチーフを表現する際の心がけについて説明します。
嫌悪感の払拭とキャラクターデザイン
嫌悪感のあるモチーフを扱う上で、多くの人に受け入れてもらう工夫は必要。ただ、そこにばかり気を使うのは、好きなものを描いているのに辛いことです。そこで、どんな点に注力すれば好きな部分を活かした表現ができるのか? その考え方と展開のコツをまとめました。
嫌悪感の払拭とは大衆への媚びではない
嫌悪感の払拭に関する説明は絶対に必要だと考えてきました。多くの人の目に触れる機会に向けた心構えを持ってもらうため。そして自身の表現の幅や表現力が足りないせいで、好きなモチーフのことを「商売にならない」と他の人に言わせないためです。
描き方にしろ、表現力にしろ、こちらが解像度を高めて臨めば、どんなモチーフも「仕事にできる」キャラクターになってくれます。そして「苦手な人がいる」という認識が常に頭にあれば、描き分けや棲み分けができるようになります。そうすると描く場が増えるので、自分が本当に描きたいものを描き、それを求める人々にきちんと届けられるようになります。
大好きなモチーフを遠慮なく描ける場をつくるには努力が必要ですが、そこに辿り着くまで描き続けるためにも、表現の幅が大きな武器となってくれます。つまり、嫌悪感の払拭になる技法とは、大衆への媚びや諦めではなく、大好きなモチーフで幅広く仕事ができるようになるためのひとつの考え方である。そんな風に理解してほしいと思います。
嫌悪感の払拭よりも大事なこと
それは、他人の感覚に合わせ過ぎないこと。他人の顔色を伺って描く必要はありません。嫌がられるからやめる、怖がられるから描かないという考えでは、表現の幅も広がらず小さくまとまってしまうでしょう。
もっとも大事なのは、自分が「かっこいい!」「すばらしい!」「すてきだ!」と思った、その心から生じる「こう表現したい」という熱量です。「ここがかっこいい!」という思いこそが、「どのように描けば人に伝わる表現になるのか」を考える力になり、表現の幅を広げる有意義な試行錯誤へと繋がります。
人の苦手の感覚に自分を寄せるために
「“知”ではなく“感”を知る」ことが重要です。第一章でも書きましたが、人は意外と「知識」でものを見ていません。「感覚」と「感情」と「感想」が大半なので、その恐怖という「感覚」を知ることから始めましょう。
例えば、僕は幽霊が怖くて、恩師はクモがとても苦手です。その恩師に「部屋の片隅を横切った影がすぐ見えなくなったとして、墨佳が見たものが幽霊でも『大丈夫』だと言えるか?」と聞かれ、初めて合点がいきました。
つまり、自分が平気だからとそのまま見せるのではなく、自分の「感情」を苦手なものに対する恐怖に置き換えて考えてみる。そうすれば「その恐怖を緩和するにはどうしようか?」と工夫する参考となるはずです。
キャラクターデザインの力と人の興味の力
僕が「キャラクターデザインに人生をかけられる」と明言できるのは、一人のキャラとして描き起こすことで、恐怖や嫌悪の先に在る「面白さ」や「美しさ」を伝えられる。つまり嫌悪を感じさせずに興味を持ってもらえる可能性があるからです。人の「興味」はすさまじく、一度でも「興味」を抱けば、そのものを受け入れられる可能性がある。「スキ」まで行かなくても「嫌悪」は軽くできる。その人の「恐怖」や「不安」を少しでも払拭することになります。僕は、自分が「描きたい」と思うものが大好きだからこそ、そのよさを伝える一助となるキャラクターデザインを一生続けていきたいです。