人物や事象をおもしろおかしく、比喩的に誇張した絵を「戯画」(ぎが)と呼びます。日本において、特に中近世に描かれた戯画には、人間や動物、妖怪や幽霊も入り混じった、ユーモラスで賑やかな、楽しい内容の作品がみられます。擬人化、滑稽化の手法をもって描かれる世界観はしばしば風刺の性格も帯びて、現在の漫画表現に通じる工夫もみられ、深く知るほどに興味をかきたてられる世界です。
文学博士で美学者の谷川渥さんが監修をつとめた「戯画を楽しむ」では、江戸時代から明治にかけて人気を集めた浮世絵師たちによる滑稽画や諷刺画を多数収録。戯画に描かれるモチーフや代表的な作品の解説を通して、その画が描かれた時代背景や物語の表現手法、作品そのもののおもしろさを楽しく理解できる一冊となっています。
本記事では第3章「絵巻物に見る戯画のはじまり」より、「一遍聖絵」について解説します。
一遍聖絵
詩情豊かな優れた筆で上人の行状を描く
鎌倉時代の高僧で時宗(じしゅう、浄土教の一派)の開祖一遍上人の諸国遊行と布教の生涯を描いたもので、伝記絵巻の名品として知られる。絵巻は一遍の弟子で歓喜光寺の開山であった聖戒(しょうかい)が伝記を書き、法眼円伊(ほうげんえんい)が絵を、藤原経尹が外題を書き、正安元年(1299)にできあがったものである。
画面には上人が参詣した各地の有名な寺院や神社の景観、一般民衆の生活の姿などが、四季おりおりの詩情あふれる風景のなかに描かれている。そして京の街なかに生きる人々の喧騒までもが緊密細心の筆で捉えられている。一遍は伊予国(愛媛県)の生まれで、はじめは浄土宗を修めるがのちに独自の宗旨を打ち立てて時宗を興した。とくに踊念仏(おどりねんぶつ)という独得の信仰形式を生み出した。
「一遍聖絵」巻第七 法眼円伊 正安元年(1299) 東京国立博物館蔵 Image: TNM Image Archives
近江国(滋賀県)の関寺で、園城寺(おんじょうじ)が一旦は禁じたがのちに許可を出し、一遍は7日間の行法を行なった。しかし惜しむ人々の声が多く、さらに14日間を追加した。「旅ごろも木の根かやの根いづくにか 身の捨てられぬ処あるべき」と詠んだ一遍上人は全国を遊行し、念仏札を配り、「南無阿弥陀仏」の名号を唱えながら踊る「踊念仏」の教えを広めた。
「遊行上人伝絵巻」(模本)天保2年(1831) 東京国立博物館蔵 出典:ColBase
僧が多くの俗人たちとともに食事をしているところが描かれていて、円形に並べられた構図は珍しい。食事を運ぶ姿に戯画の要素が見られる。一遍聖絵のなかに、このような生きる庶民のリアルな姿が垣間見られることは貴重な記録でもある。