『グッとくる横丁さんぽ 全国50の裏通りを味わうイラストガイド』は、旅と食の記事を長年手がけてきた編集者である村上 健さんが、スケッチブックを携えて巡った全国の裏通りを、ほのぼのとしたイラストと軽妙な文章で紹介するイラストエッセイです。
第5回は、明治維新の俊才たちを育んだ、山口・萩の横丁をめぐります。
前に日本海、後ろは中国山地。2つの川に挟まれた三角州の城下町・萩の広さは、3㎞四方。皇居を円の中心に東京駅までを半径としてコンパスをくるっと回したぐらいしかありません。中国地方を支配した毛利家も、関ヶ原の合戦後は江戸や京から遠い日本海側に減封され、石高は4分の1に。それでも藩主の毛利輝元は、低湿地に堤と城を築き、まちづくりに腐心しました。
城下町の中心部に往時のままの「菊屋横町」と「江戸屋横町」があります。高杉晋作や桂 小五郎らが生まれ育ち、伊藤博文が読み書きを習った一画です。川向こうの松下村塾の塾生も、多くは近所の少年。青森山田でも大阪桐蔭でもなく、同じ学区の子。こんな小さなまちがなぜ、隣近所だけで幕末の英傑を数多く出し、時代を転回させたのか。ひっそりした菊屋横町を歩いていると、疑問が湧きます。
司馬遼太郎は『歴史を紀行する』(文春文庫)でこう解きます。まずは教育。藩の未来を教育に託し、小藩に似合わない規模の「明倫館」を開校。稀代の思想家だった吉田松陰は私塾で開明的教育を施しました。次に経済。米頼りの幕府を尻目に商品経済と内国貿易に励み、豊かな富で軍事力を手に入れました。3つ目は地理的環境。江戸時代は日本海側が海外との出入り口ですぐ海の向こうは大陸。列強の圧力や先進性に敏感でした……。
米軍の空襲リストにありながら、終戦で被災を免れた幸運も手伝い、江戸時代の地図が今も使える場所もある萩。ふいに草鞋履きの晋ちゃんや小五郎君が横丁から現れそうです。
城下町で味巡り
空襲に遭わず、高度成長期もバブルも大きな変化を起こさなかった萩。政治経済の中心から離れていたことが江戸のまちなみを奇跡的に保存し、世界遺産認定につながりました。
萩には地元の特産を食べ歩く楽しみもあります。好漁場の日本海と、豊富な山の幸が得られる中国山地に囲まれているからです。たとえば萩沖の瀬で育ち、脂ののった「瀬付きアジ」、活イカの刺身や天ぷらがうまい「須佐男命(すさみこと)イカ」。維新後に士族が栽培をはじめた夏みかんも特産です。武家屋敷街を歩けば、夏みかんの木が土塀越しにのぞきます。
(「梅乃葉」萩市街からクルマで40 分ほど)。
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