写真に限らず、芸術表現の場ではしばしば「自分らしい」表現に価値があるとされます。ではそこで求められる「自分らしさ」とは端的に言ってどのような過程を経て作品として発露するものなのでしょうか。
「個性あふれる“私らしい”写真を撮る方法」著者の野寺治孝さんは写真表現において大事なこととして、撮影者の「感性」と「個性」を挙げています。本書では機材やテクニックも重要な要素としながら、心構えや考え方に重点を置いて、「私らしい写真」を撮るヒントとなる72のテーマについて語っています。
本記事では第3章「私だけの視点を見つけ出す方法」より、あえてすべてを説明しない、「想像させる写真」の効果について解説します。
写真制作はある意味「完璧な予告編」
文学の世界ではよく「行間を読め」と言われます。これは「作家の真意をくみ取って文字に書かれていないことを理解する」ことだと思います。たとえば「私はあなたと…結婚します」という文章があるとします。単純に読めば「この女性は彼のことが好きなんだな」と思います。ところが「…という”間”は迷っている気持ちがあるのかな」とも「…は意を決する”間”だから好きなんだな」とも解釈できます。もしかしたら作家はそれ以外のことを表現したかったのかもしれません。
これが映画なら、俳優が目配せをしたり、セリフがなくても顔や体の仕草で表現することができます。また2ショットでの会話の”間”に一見関係のないような、たとえば沸き上がる入道雲、枯れた花か満開の花、突然の夕立、気配を感じて起き上がる猫、風に揺れるカーテンなどのカットをインサートすることで2人の関係を暗示することもできます。
文学や映画と同じことが写真にも言えます。作例を見てください。まず撮られた場所はどこでしょうか。国内か外国か全くわかりません。背景には雲しか写っていないので街中なのか、海それとも山なのか、ピントが人物ではなく雲に合っているのはなぜか、そもそもこの人物は何者か、たまたま偶然に出会った人のスナップなのか、モデル撮影なのか、男性のように見えますが確信は持てません。
このようにこの1枚の写真には”謎”が満ちあふれていて、あらゆることが想像できます。”想像させる写真”=”読ませる写真”だと私は思います。どこかに見えない余白のようなものを写すことによって”謎”が深まり鑑賞者は文章の行間を読むように、写真を観て想像するのだと思います。”謎”があると鑑賞者は「何なんだろう?もっと観たい!」と本能的に好奇心が刺激されます。「これから何が始まるのだろうか」という、いい意味での”思わせぶりな期待感”を持たせることも大切になってきます。そして鑑賞者は想像の翼を広げて、時にはテーマにないことまでも想像しアドバイスしてくれることもあります。このことは撮影者にとっては大きな”学びと気づき”になります。
ビジュアルにおける写真で表現したいものを、あえて隠したり見せないことは勇気がいりますが、時には有効な方法となることも覚えておきましょう。写真制作とはいわば”完璧な予告編”を作ることかもしれません。