いい写真を撮る100の方法
第10回

自分の作品を言語化「ステートメント」は、客観的に、簡潔に

あなたは「いい写真」と聞いてどのような写真を想像するでしょうか。人によってその定義はそれぞれです。なかなか思った通りには転ばない偶発性も写真撮影の面白さですが、結果的には「撮影者の伝えたい事柄がしっかり伝わる」写真が「いい写真」といえるのもかもしれません。

いい写真を撮る100の方法」では、スナップ写真を中心とした100点の写真について、撮影意図や撮影時のエピソードを交えながら、表現力を鍛える視点や思考法について解説。撮影者として他者に自身の感動やその場の空気感、興味の対象を伝える写真表現に向き合う姿勢を学べる内容にまとまっています。

本記事では第6章「人に見せることを常に意識する」より、自分の作品を客観視して言語化することの重要性について解説します。

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いい写真を撮る100の方法

客観的な視点でステートメントを書いてみる

なかなか文章が下りてこないという人も多いと思うが、そんなときは象徴的な写真を数枚、プリントにして目の前に並べる。そこから思いつくキーワードを書き出していくと、文章のエッセンスができていくことがある。 フルサイズ一眼レフ/ 50mm・単焦点レンズ/絞り優先オート/ F1.4 / 1/200 秒/ WB オート/ ISO1600

どんなに巧みな撮影テクニックを身につけた人でも、欠けていることが多いのか客観性である。ちょっと哲学的な表現になるが、他人に何を想像させるかが自分自身で想像できていない人が多いということだ。

たとえば心の中をすくいとったような抽象的な写真でも、どこかに公開した時点で撮影者から離れてひとり歩きをする。そしてプロアマ関係なく、写真を作品として公開したらそれは自分の分身となる。その時にどう見られ、解釈されるかは常に考えておくべきだ。

写真展を回っていると、誰もわかってくれなくていいです、好きに見てください、という作者も少なくない。わかってくれなくていいというのは、そういう自分をわかってくれというメッセージだと僕は受け取っている。見当違いかもしれないけれど、写真はそれくらいひとり歩きをしていくのである。

また言葉にできないから写真を撮っているという作者もいる。それも僕には何かを放棄しているような気がしてしまう。

写真展には大抵ステートメント(声明文)が掲げられている。以前は説明や挨拶の域を出ないものが多かったが、いつからか作者の意図や思いが伝わり、鑑賞者を名実ともに展示へ誘ってくれるものが増えた。ギャラリーのホームページに掲載されることも多く、見に行くべきかどうかの判断材料にもなる。

この写真は写真集「山梨県早川町 日本一小さな町の写真館」の発行にあわせて新宿ニコンサロンで開催した写真展に、天井から吊り下げて展示したもの。その大きなプリントは表裏があり、反対側にはステートメントを印刷した。写真集の冒頭に添えた以下の一文だ。

合言葉は山、川。
そんなフレーズを思い出す。
南アルプスの麓の小さな町。
「東京の写真屋さん、ウラ(私)んとこにも寄ってけし」
呼ばれれば、いや呼ばれなくても、何かあると聞けばカメラを持って駆けつけた。
日本一人口が少ないという街には、東京よりもいろいろな人たちがいた。

自分が表現したいテーマがあれば、ここまで叙情的でなくてもよいので、短い説明文を書くトレーニングをするといい。イメージとしては、日本語なら140文字が上限のTwitterのつぶやきだ(英文のように文字数が増えるという噂もあるが)。140文字ではかなりの情報が伝えられる。このステートメントも131文字だ。それでも説明できないものは、まだテーマやアイデアが練られていないのだと思う。逆に文字数が多ければ情報が増えるかというと、校長先生のありがたい話と同じ。そしてこれは写真の選び方にもつながる。


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