「赤城写真機診療所 MarkII」では、カメラや撮影にまつわる悩みや迷いを「疾患」に見立て、「撮影科」「カメラ科」「レンズ科」「婦人科」それぞれのカテゴリーで、質問を「症状」、回答を「診察」としてカメラや写真、撮影時の疑問に答えています。
「診察」と銘打ってはいますが、要は著者によるお悩み相談。「カメラあるあるネタ」に対する著者の見解を楽しむ一冊となっています。
本記事では「レンズ科」における診察内容の1つをお届けします。
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レンズにはフードがついていないと落ち着かず、気持ちが盛り上がりません。またレンズ本体は所有していないのにフードが先に欲しくなるのは病気なのでしょうか?
診断を下す前に、私たちが交換レンズを新しく購入する目的とは何か、これを考えてみたい。
それは新しい写真世界を切り開くためにある。そのために私たちは一生懸命にお金を貯め、最新設計の超絶高性能大口径ズームレンズの購入を目指したり、中古カメラ店をまめに巡り、低性能の古いクソレンズに大枚をはたいて購入し、嬉々としたりする。どちらが正しいのかそこに明確な解答はない。
また、レンズを購入する目的にはもうひとつある。それは美しいデザインへの欲望だ。自分が所有するカメラを際立たせるため。ようはカメラがかっこよくなるのか悪くなるのか美意識が問われているのだ。
後者の目的のためにレンズを購入するのは邪道か。たしかにレンズと戯れてばかりいたら創作活動の妨げにはなるが、趣味のアイテムなど本来は生活に不必要な無駄なものの集まりであっても、美しい道具を使うとモチベーションは上がるものである。
これはレンズ単体だけではなく、アクセサリーとして用意されるフードにも言える。私はカメラとレンズのデザインに対してスペックよりもうるさいから、光学的に超高性能のレンズであってもカッコ悪いレンズは使いたくないのである。単体のままではカッコ悪いレンズが、レンズフードを装着したとたんに感動的な美しさに変貌する。一部にこういうレンズがある。フードを装着することで、初めてレンズのデザインの完成とみなすという人も存在する。この気持ちには強く共鳴する。
ところがだ。デザインと美学を優先するあまり、現時点でレンズを購入するあてはないのにフードをレンズより前に先走り購入する人がいる。これは危険な「フード病」に罹患している可能性がある。フードを押さえておくことで、そのうちレンズも購入するだろうという異常行動だ。
フード病には変異タイプもあり、レンズ本体とフードの製造年代が整合していないと我慢ならなくなる「時代不整合不安症」を同時に発症し合併症となっている場合も少なくない。
ニコンのMFニッコール、ライカL/M用レンズ、旧ミノルタのロッコール、ペンタックスのタクマーレンズ用など、長くMFレンズを製造していたメーカーのユーザーに患者が多いことが特徴。初期のキヤノンFD用のフードは総金属なので、レンズ製造年代に関わらずこれを装着することに命を賭ける患者も稀にいる。
具体的な症例を挙げてみよう。たとえば「ニッコールオートレンズ」に装着するフードは「焦点距離」、「Nippon Kougaku」、「F」のそれぞれの刻印がないと不安になったりする。もし、レンズとフードの製造年代が異なることを写友に指摘されでもしたら不眠に陥ったりしてしまう危険もある。
少しは冷静になってほしいものだ。往時のものと、現行品のフードは材質や塗装、刻印が違うだけで、余分な光を遮光するという目的のために用意されたもの、効果は同じで問題はないはずだ。