戯画を楽しむ
第3回

英雄譚を幕政に見立てて風刺した反骨の絵師「歌川国芳」

人物や事象をおもしろおかしく、比喩的に誇張した絵を「戯画」(ぎが)と呼びます。日本において、特に中近世に描かれた戯画には、人間や動物、妖怪や幽霊も入り混じった、ユーモラスで賑やかな、楽しい内容の作品がみられます。擬人化、滑稽化の手法をもって描かれる世界観はしばしば風刺の性格も帯びて、現在の漫画表現に通じる工夫もみられ、深く知るほどに興味をかきたてられる世界です。

文学博士で美学者の谷川渥さんが監修をつとめた「戯画を楽しむ」では、江戸時代から明治にかけて人気を集めた浮世絵師たちによる滑稽画や諷刺画を多数収録。戯画に描かれるモチーフや代表的な作品の解説を通して、その画が描かれた時代背景や物語の表現手法、作品そのもののおもしろさを楽しく理解できる一冊となっています。

本記事では第1章「人気浮世絵師の描いたユーモア」より、歌川国芳の作品を抜粋して紹介します。

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歌川国芳(寛政9~文久元年、1797~1861年)

江戸における戯画の名手

国芳は江戸時代後期の浮世絵師。文化8年(1811)、15歳で初代歌川豊国の門下となる。文政10年(1827)頃から版行されはじめた錦絵のシリ−ズ「通俗水滸伝豪傑一百八人之壱個」により人気を博し、武者絵の国芳と呼ばれた。

国芳のアイデアにかかれば猫や金魚たちもまるで人間のように動き回り、役者たちは猫や魚に変身させられるばかりではなく壁の落書きとしても描かれる。福禄寿や達磨たちまでもが画中で騒動を引き起こしている。さまざまなアイデアで江戸っ子のエスプリも十分に感じさせてくれる作品を多く残した。

「相馬の古内裏」(そうまのふるだいり) 歌川国芳 弘化元~4年(1844~47)頃 山口県立萩美術館・浦上記念館蔵

山東京伝作・初代歌川豊国画の大伝奇ロマン『善知安方忠義伝』(うとうやすかたちゅうぎでん)(文化3年・1806)に取材した作品で、源頼信の家老大宅光国と平将門の遺児で妖術を操る滝夜叉姫(たきやしゃひめ)との対決の場面である。滝夜叉姫が呼び出した骸骨が御簾(みす)から中央にいる光国に襲いかかろうとする場面が描かれている。

「主馬佐酒田公時 靱屓尉碓井貞光 瀧口内舎人源次綱」歌川国芳 文久元年(1861)山口県立萩美術館・浦上記念館蔵

大江山の酒呑童子退治で知られる源頼光が病に臥せり、家臣たちが囲碁を打ちながら見守っているところに妖怪が現れた。怪童の金太郎こと酒田公時(きんとき)、足柄山で金太郎を見出して頼光のもとへ連れて行った碓井貞光(うすいさだみつ)、京都の一条戻橋の上で鬼の腕を切り落とした渡辺綱(わたなべのつな)の四天王の面々。それとは知らず現れでた妖怪たちも可哀想である。茶運び女の妖怪も、筋肉隆々の公時の指で顔面もゆがんでしまった。

「福禄寿 あたまのたわむれ」(山車、亀)

子供たちが引く山車に福禄寿が乗り、楽しげに太鼓を叩いている。頭の上を黒く塗り、平安時代の武官が被巻纓冠(けんえいかん)のように飾り付けている。そばで大黒も笑っている。

「おもふこと叶ふくすけ 思ふこと可福助」歌川国芳 東京都立中央図書館特別文庫室蔵

かわいそうだね、家に入れないよ。もっと押してくれ。これじゃ無理ですね福禄寿さん。板塀を壊しましょうか。頭の大きさが災いしてなかなか日常生活は大変だ。さて、お待たせしました髭親父の登場です。なんにでも使われて、どうなってるのかな。


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