赤城写真機診療所
第8回

肖像権問題、撮影者にスナップを撮る、発表する「覚悟」は足りているのか?!

赤城写真機診療所 ~そんなカメラは捨てなさい~」では、カメラや撮影にまつわる悩みや迷いを「疾患」に見立て、「カメラ科」「レンズ科」「撮影科」「アクセサリー科」それぞれのカテゴリーで、質問を「症状」、回答を「診察」としてカメラや写真、撮影時の疑問に答えています。

「診察」と銘打ってはいますが、要は著者によるお悩み相談。「カメラあるあるネタ」に対する著者の見解を楽しむ一冊となっています。

本記事では「撮影科」における診察内容の1つを抜粋してお届けします。

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路上のスナップを撮る上で、肖像権や撮影マナー、モラルなどの考え方を教えて下さい。


町で写真が撮りにくくなっているという話を最近よく聞くようになったけれどどうなのかな。個人的にはそういう気はしないのだが。必要以上に撮影者側が萎縮しすぎて自分の世界を狭めているような気もしてくる。

木村伊兵衛がスナップは「巾着切り」だと書いた文章を読んだことがあり、なるほどと思った。現代風に言えばスリのことなんだけど、この揶揄の仕方はいまでは大きな問題になりそうだが、当時は粋だったのだ。なるほど撮影の方法論としては似ていなくはない。

問題なのは撮影者側にスナップを撮る、発表する「覚悟」が足りていないことである。だから姑息な隠し撮りとスナップを同列に論じられてしまうと、少しも反論することができないのである。

スナップは特定の人物の生活やプライベートを探ろうとするものではない。ストリートフォトグラファーはそんなことには一切興味がない。自分がよいと感じたものを〝人間〟 という姿を借りて写真として残したい、伝えたいわけだ。具体的には人物の表情だったり行動だったり、全体の容姿だったり、ファッションだったり、肢体の一部だったりする。時間が経てば時代の記録ともなる。

肖像権の問題を軽く考えているつもりはないし、詳しいことは専門書をあたって欲しいが、これだけは言える。

撮影者側にやましい意識があるとトラブルが起きやすいのではないか。

すでに40年以上、街中でスナップをしているけれど、大きなトラブルになったことは一度もない。著しく見苦しい姿、社会的に不利益になる姿は撮らないのは当然のことだが、もし「なぜ撮るのか」と訊かれたら逃げずに答える。嫌がられたら絶対に発表はしない。デジタルカメラならその場で画像を消すまでのこと。断らずに写真を発表する場合は自分の責任を持って行う。

萎縮する必要はないがカメラを持つ側は偉くはないし、権力があるわけでもないのに、カメラは暴力になることがある。人物に限らず被写体をリスペクトし「撮らせていただく」という謙虚な姿勢や心がけを持つ必要はあるだろう。その気持ちが撮影者自身の行動や姿に現れるものである。

  写真+イラスト:大村祐里子

 


赤城写真機診療所

続編「赤城写真機診療所 MarkII」(2018年6月29日発売)


著者プロフィール

赤城 耕一


(あかぎ・こういち)

1961年、東京生まれ。東京工芸大学短期大学写真技術科卒業。出版社を経てフリーに。雑誌、コマーシャル、企業PR誌などで人物撮影を主に担当する傍ら、戦前ライカから最新のデジタルカメラまでレビューも行うカメラ好き。カメラ雑誌、書籍など執筆多数。
「銀塩カメラ放蕩記(アサヒカメラ)」「ボケてもキレても(月刊カメラマン)」連載中。

書籍(玄光社):
中古カメラはこう買いなさい!
ズームレンズは捨てなさい!

Twitter:@summar2
ブログ:赤城耕一写真日録


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